著者
丹羽 寛文
出版者
一般社団法人 日本消化器内視鏡学会
雑誌
日本消化器内視鏡学会雑誌 (ISSN:03871207)
巻号頁・発行日
vol.53, no.10, pp.3241-3260, 2011 (Released:2011-11-30)
参考文献数
18

二重造影法は日本で開発されたと思われているが,二重造影法を最初に開発し報告したのは日本では無い.二重造影法はドイツのFischerが薄いバリウムを使って大正12(1923)年に発表したのが最初で,濃厚なバリウムを使っての大腸の二重造影法は,スエーデンのWelinが昭和28(1953)年に発表している.何れも大腸が対象で大腸ポリープの診断を目的としていた.筆者は若干変更した変法を昭和45年に報告し,その後かなりの症例を経験した.以下Fischer法とWelin法について詳述した.なお筆者は昭和45(1970)年7月にWelin教授をマルモに尋ねたが,すでに彼は定年で退官しており,後任のProf. Boijsenに共同研究者のAndren講師を紹介され,詳細を教わった.Fischer法は薄いバリウムを使っての二重造影法で,バリウムの付着が悪く諸施設で実施されてはいたものの評価は低く,その後忘れ去られた.一方濃厚バリウムを使うWelin法は,良好な二重造影像が得られた.原法ならびに筆者の変法による当時行った実例を提示し,Welin法並びにその変法の特徴,利点を詳述した.筆者が行ったのは,大腸ファイバースコープの開発とほぼ同時期で,両方法の開発発展に相互に良い影響があったと思っている.
著者
丹羽 寛文
出版者
一般社団法人 日本消化器内視鏡学会
雑誌
日本消化器内視鏡学会雑誌 = Gastroenterological endoscopy (ISSN:03871207)
巻号頁・発行日
vol.53, no.8, pp.1957-1978, 2011-08-20

本論文ではファイバースコープの初期頃までに消化管内視鏡の分野で活躍された先覚者と呼ぶに相応しい九州の方々を取り上げてみた.九州の方々としては,(1)九州に本籍がある,(2)九州に生まれた,(3)九州で育った,(4)九州内の学校で学んだ,(5)九州内の医育機関に勤務された方としたが,早く九州を離れた方も含めた.<BR>硬性食道鏡では九大の久保猪之吉の活動が目立ち,硬性胃鏡の時代には同じく九大の三宅 速,宮城 順による本邦最初の報告がある.軟性胃鏡に関しては長崎医大赴任前に中谷が報告している.その後の日本の消化管内視鏡は事実上胃カメラから始まったが,九州内では昭和32年6月第4回胃カメラ研究会に於ける柚木らの報告ならびに同日の第4回消化器病学会九州地方会での佐藤の報告をもって嚆矢とする.<BR>第1回胃カメラ学会は昭和34年6月に開催されたが,この会では熊本大学外科,鹿児島大学佐藤内科,九州厚生年金病院内科からの発表があった.さらに親学会結成前に胃カメラ学会九州支部が設けられ,それ以前には同好会も作られている.<BR>第2回胃カメラ学会総会での九州からの発表者は,やはり大学の方ばかりで,発表者はいずれもその後九州内で指導的立場に立たれた方々ばかりであった.その後地方会も作られた.<BR>学会は昭和36年に日本内視鏡学会へと発展したが,九州地区からの発表はやはり大学が主体で,一般病院からは九州厚生年金病院,鹿児島市立病院に限られていた.<BR>旧制大学は昭和29年に最終卒業生を出したが,内視鏡で活躍された方々は,この年を挟んだ前後数年間の卒業生の方々を主体にしていた.これらの方々は真に先覚者と言える方々であって,それらの活動を詳述した.
著者
丹羽 寛文
出版者
Japan Gastroenterological Endoscopy Society
雑誌
日本消化器内視鏡学会雑誌 (ISSN:03871207)
巻号頁・発行日
vol.49, no.7, pp.1615-1638, 2007-07-20 (Released:2011-05-09)
参考文献数
48
被引用文献数
1

胃カメラのアイディアは,1889年にEinhornが発表したが,当時の技術では,その実現は不可能であった.食道カメラは,Oebermannが1890年,ついでKellingが1997年に試みている.一方胃カメラに関しては,1898年のSchaafの胃カメラは一枚の写真が得られるのみで実用性は無かった、同年のLange&Meltzingの胃カメラは,50年後の日本の胃カメラと原理,構造,扱い方は,全く同じであったが,感光材料の未発達から感度が低く,粒子が粗く赤色域に感光性が無かった.またX線発見以前で生体に於ける胃の位置,形態に関する知識が皆無で,さらに彼らの研究を継いだ人がおらず,その後の発展が無く見捨てられた.1929年のPorgesand Heilpernの針穴式胃カメラは,実用性に問題があり,1931年のHenningの胃カメラも試みのみに終わった.1950年の宇治らの胃カメラは,良好な写真が得にくく,あまりにも故障が多く,殆ど見捨てられた.しかし1953年以降崎田ら東大田坂内科8研グループが,この機器を取り上げ機器に改良を加え,撮影手技を確立し,実用化が可能となり普及を見る様になった.昭和39年には,診断は胃カメラ,ファイバースコープはファインダーという考えでファイバースコープ付き胃カメラが作られた.その後改良が加えられ,胃カメラ,ファイバースコープ,生検機構が一体化した. 以上の経過から,胃カメラの本当の発明者はLangeらで,宇治らはその改良機を作ったというのが公平な見方であろう.さらにこの不完全な機器を取り上げ,改良を重ね,撮影手技を確立し実用価値のあるものに育て上げた崎田ら当時の東大田坂内科8研グループの功績は極めて大きく,その意義は最初の開発以上と考えられる.
著者
中村 孝司 鎌上 孝子 大国 篤史 黄 沾 伊藤 善志通 糸数 憲二 菅又 成雄 鳥居 正男 三宅 和彦 山中 正己 丹羽 寛文
出版者
一般財団法人 日本消化器病学会
雑誌
日本消化器病学会雑誌 (ISSN:04466586)
巻号頁・発行日
vol.80, no.12, pp.2493-2503, 1983 (Released:2007-12-26)
参考文献数
47
被引用文献数
7

消化性潰瘍の治療に当つて嗜好品をいかに取り扱うべきか, 今日でも不明確な点が多い. また潰瘍の経過に及ぼすこれらの効果についての検討もきわめて乏しい.著者らは, 内視鏡的に経過を追跡しえた症例591例 (平均観察期間5年11カ月) を対象として, 喫煙, 飲酒, コーヒー摂取の潰瘍再発, 治癒に与える影響について検討を行つた.その成績は次の通りである. 1. 喫煙は消化性潰瘍の再発率を統計的に有意に上昇させ, 明らかな悪影響を与えることが示された. また潰瘍の治癒率にもある程度の抑制効果が示された. 2. 飲酒およびコーヒー摂取は, 消化性潰瘍の再発率, 治癒率に大きな影響を与えなかつた.
著者
田尻 久雄 丹羽 寛文
出版者
一般社団法人 日本内科学会
雑誌
日本内科学会雑誌 (ISSN:00215384)
巻号頁・発行日
vol.81, no.5, pp.617-621, 1992-05-10 (Released:2008-06-12)
参考文献数
5

胃ポリープのなかで最も多く代表的なものは過形成性ポリープであり,内視鏡的ポリペクトミーの成績では83%を占める.そのなかで局在癌の頻度は3%であった.一方,胃腺腫の場合は発生頻度が低いものの,腺腫内の癌共存率が10%と高率にみられた.胃集検の意義は,無症状の有所見群を拾い上げることにあり,内視鏡による精密検査によってはじめて微細な変化を確診し得る.今後は,内視鏡胃集検がより普及していくことが望まれる.