- 著者
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丹羽 寛文
- 出版者
- Japan Gastroenterological Endoscopy Society
- 雑誌
- 日本消化器内視鏡学会雑誌 (ISSN:03871207)
- 巻号頁・発行日
- vol.49, no.7, pp.1615-1638, 2007-07-20 (Released:2011-05-09)
- 参考文献数
- 48
- 被引用文献数
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胃カメラのアイディアは,1889年にEinhornが発表したが,当時の技術では,その実現は不可能であった.食道カメラは,Oebermannが1890年,ついでKellingが1997年に試みている.一方胃カメラに関しては,1898年のSchaafの胃カメラは一枚の写真が得られるのみで実用性は無かった、同年のLange&Meltzingの胃カメラは,50年後の日本の胃カメラと原理,構造,扱い方は,全く同じであったが,感光材料の未発達から感度が低く,粒子が粗く赤色域に感光性が無かった.またX線発見以前で生体に於ける胃の位置,形態に関する知識が皆無で,さらに彼らの研究を継いだ人がおらず,その後の発展が無く見捨てられた.1929年のPorgesand Heilpernの針穴式胃カメラは,実用性に問題があり,1931年のHenningの胃カメラも試みのみに終わった.1950年の宇治らの胃カメラは,良好な写真が得にくく,あまりにも故障が多く,殆ど見捨てられた.しかし1953年以降崎田ら東大田坂内科8研グループが,この機器を取り上げ機器に改良を加え,撮影手技を確立し,実用化が可能となり普及を見る様になった.昭和39年には,診断は胃カメラ,ファイバースコープはファインダーという考えでファイバースコープ付き胃カメラが作られた.その後改良が加えられ,胃カメラ,ファイバースコープ,生検機構が一体化した. 以上の経過から,胃カメラの本当の発明者はLangeらで,宇治らはその改良機を作ったというのが公平な見方であろう.さらにこの不完全な機器を取り上げ,改良を重ね,撮影手技を確立し実用価値のあるものに育て上げた崎田ら当時の東大田坂内科8研グループの功績は極めて大きく,その意義は最初の開発以上と考えられる.