著者
丹辺 宣彦
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.33-48, 2003-06-30

M.Olsonの集合行為論は, 共通の利害を有することが集団形成を促すという階級論の想定に対して, 有効な批判の論拠を提供してきた.他方で, その問題構成には, 集団間の階層的分化への顧慮と, 集団への関与がその成員の意識と行動に大きな影響を与えることを考慮する観点が相対的に欠けていた.この点に着目し, 本稿では, 階級的・階層的集団の成員の意識にあらわれるカテゴリー形成を手がかりとし, それが集団形成と集合行為をいかに水路づけるかという問題を論じる.<BR>まず, Olsonの集合行為論の問題点を整理し, その議論が集団間での階級的, 階層的な利害の分化を捨象しており, また他方で集団カテゴリーの成立を前提としていたことを示す (1節).つぎに, 集合財の階層性を確認するとともに, C.OffeによるOlson批判も, 労働組合成員による「集合アイデンティティ」カテゴリーの創出という, 個人的合理性に対置される集団的連帯性に依拠していたことを示す (2節).さらに, 集団問での利害対立の分化が新たな集合財空間の分化をもたらすことを明らかにする.その上で, 属性を物象化=象徴化することにより階層的な集団カテゴリーが形成される機制と, 集団と個人の利害の同一視によって, フロントランナーの集合行為が引き起こされる可能性を検討する (3節).このような検討から, 集合行為論の展開に対して, 社会学的観点からの貢献が可能であることを示したい.