著者
久保田 裕斗
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.71-91, 2019-11-30 (Released:2021-07-10)
参考文献数
19
被引用文献数
1

本稿の目的は,インクルーシブ教育をこれまで積極的におこなってきた小学校を事例とし,障害児本人の意思に依拠した合理的配慮の構成過程を明らかにすることである。 これまで,障害児自身の事後的な意思の表明を基軸とした個別的な配慮が対話的に構成される過程について,先行研究は十分に考察してこなかった。 本稿はドロシー・E・スミスの「切り離し手続き」を分析の手がかりとしながら,ローカルなリアリティの構築プロセスから切断されようとする人物が,いかに現実の構成過程へと再参入していくのかという「再参入の手続き」について考察を試みた。 本稿の事例において障害児は,自らに「見えない」という「能力の欠如」を帰属したり,他者からそれを帰属された際に「見えない」ことは「できないこと」でないと反論するなどして,場面の参与者を分節化する境界設定のせめぎ合いを演じつつ,その都度ごとに配慮の妥当性を提起し,場面への再参入を果たしていた。 結論部では,ガート・ビースタの議論を参照し,健常児を主たる対象として想定してきた小学校の既存の秩序が変形する可能性について,「外側を起動力とした包摂」という視点から考察した。障害児への配慮を対話的なプロセスとして捉える視点は,障害児と健常児や教師との「コンフリクトへの自由」をひらき,「外側」の働きかけによって包摂のあり方を行為遂行的に拡張する契機となりうるものである。