著者
伊佐 夏実
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.109, pp.5-27, 2022-02-21 (Released:2023-06-30)
参考文献数
33

本稿では,難関校出身生徒に焦点をあて,高校から大学への移行に際して進学先レベルを低めた層とそうでない層の違いがどこにあるのかを,高大接続パネルデータを用いて検討した。難関校から難関大に進学する女子は男子に比べて少なく,その一因として,女子の浪人選択率の低さが挙げられる。また,階層の低い女子や地方出身の女子,学習意欲の低い女子は下降移動しやすいが,それらの要因を統制してもジェンダーの直接効果が残ることから,女子の移動パターンに影響を与える他の要因の存在が示唆された。 そこで,将来希望する職業に焦点を当てた分析を行った結果,看護師に代表される医療職や,教職を希望することが下降移動につながっており,資格取得により可能となる確実なキャリアを選択しようとする志向性が,偏差値とは異なる基準での進路分化を生み出すひとつの要因であることが分かった。四大ではなく短大や専門学校への女子の進学行動を説明する際に指摘されてきたものと同じメカニズムが,難関高校という上昇移動に向けた加熱が生じやすいとされるトラックにおいても確認されたのだ。本稿の分析からは,性役割意識そのものは難関大への進学を左右する要因にはなっていなかったが,特定の職業へと女性をいざなっていく「ジェンダー・トラック」は維持されており,労働市場におけるジェンダーギャップが解消されない限り,教育機会の男女差は残り続けるとも言えるだろう。
著者
前川 直哉
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.81, pp.5-23, 2007-11-30 (Released:2015-07-14)
参考文献数
39
被引用文献数
1

This paper elucidates historical changes in the images of homoeroticism between male students in the Meiji Era and examines the factors behind this change.During the Meiji Era, intellectuals subscribed to a morality that prohibited homosexuality. However, some male students, known as kouha (solid students), shared common values that placed a positive value on homoeroticism between male students. They loathed falling victim to womenʼs charms, and aspired to develop ideal relations between themselves and other elite male students.In the 1900s, the number of girls attending school increased markedly, and the presence of female students increased. These women came to be seen as suitable love or marriage partners for male students. In modern Japan,the emergence of female students helped to form the ideology of romantic love and a new positive image composed of love, marriage, and family.These changes brought about by the emergence of female students had an impact on the images of homoeroticism between male students. After the 1900s, a form of homoeroticism called “love between men” became popular among the nampa (soft students), and the kouha students lost their monopoly on homoeroticism. However, “love between men” was just a substitute for love between men and women. On the other hand,the kouha students strengthened their belief that they should avoid falling in love, as they thought it was too feminine. Therefore, they called close relations between men “friendships between men,” avoiding the use of the word “love.” In this way, homoeroticism between male students was separated into “love between men,” as an imitation, and “friendship between men.” Homoeroticism between male students was transformed into a form adapted to heterosexism.
著者
前川 直哉
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.81, pp.5-23, 2007

This paper elucidates historical changes in the images of homoeroticism between male students in the Meiji Era and examines the factors behind this change.<BR><BR>During the Meiji Era, intellectuals subscribed to a morality that prohibited homosexuality. However, some male students, known as <I>kouha</I> (solid students), shared common values that placed a positive value on homoeroticism between male students. They loathed falling victim to womenʼs charms, and aspired to develop ideal relations between themselves and other elite male students.<BR><BR>In the 1900s, the number of girls attending school increased markedly, and the presence of female students increased. These women came to be seen as suitable love or marriage partners for male students. In modern Japan,the emergence of female students helped to form the ideology of romantic love and a new positive image composed of love, marriage, and family.<BR><BR>These changes brought about by the emergence of female students had an impact on the images of homoeroticism between male students. After the 1900s, a form of homoeroticism called "love between men" became popular among the <I>nampa</I> (soft students), and the <I>kouha</I> students lost their monopoly on homoeroticism. However, "love between men" was just a substitute for love between men and women. On the other hand,the kouha students strengthened their belief that they should avoid falling in love, as they thought it was too feminine. Therefore, they called close relations between men "friendships between men," avoiding the use of the word "love." In this way, homoeroticism between male students was separated into "love between men," as an imitation, and "friendship between men." Homoeroticism between male students was transformed into a form adapted to heterosexism.
著者
韓 東賢
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.109-129, 2015-05-29 (Released:2016-07-19)
参考文献数
19
被引用文献数
1 1

ヤング(Young 訳書,2007)は,欧米におけるポスト工業化社会への変化が,同化と結合を基調とする「包摂型社会」から分離と排除を基調とする「排除型社会」への移行でもあったと指摘する。一方,敗戦後,米軍の占領期を経て厳格なエスニック・ネイションとして再出発した日本では多文化主義的な社会統合政策が取られたことはなく,そのような意味での「包摂型社会」になったことはないと言えよう。にもかかわらず,日本でも1990年代から徐々に始まっていたヤングのいう意味での「排除型社会」化の進行は見られる。つまり,「包摂型社会」を中途半端にしか経由せず,そのためそこでの同化主義への処方箋である多文化主義も経由せずに,にもかかわらず「バックラッシュ」が来ている,というかたちで,だ。 本稿ではこうした流れを,朝鮮学校の制度的位置づけ,処遇問題からあとづけていく。そこから見えてきたものは次の3 点であると言える。①仮に戦後の日本がヤングのいう意味での包摂型社会だったとしても,その基調は同化と結合ではなく,「排除/同化」――排除と同化の二者択一を迫るもの――であった。②2000年代には,このような「排除/同化」の基調を引き継ぎながら,にもかかわらず,「多文化主義へのバックラッシュ」としての排除を露骨化,先鋭化させた排除型社会になった。③そのような「排除/同化」,また2000年代以降の排除の露骨化,先鋭化において,朝鮮学校の処遇はつねにその先鞭,象徴だった。
著者
野村 駿
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.25-45, 2018-11-30 (Released:2020-06-26)
参考文献数
21

本稿の目的は,「音楽で成功する」といった夢を掲げ,その実現に向けて活動するロック系バンドのミュージシャン(以下,バンドマン)を事例に,夢の実現可能性に関する解釈実践の内実を検討し,若者が夢を追い続ける社会的背景を明らかにすることである。バンドマンを対象とした質的調査の結果に基づき,次の4点を明らかにした。 第1に,夢の実現可能性に関するバンドマンの語りの特徴として,可能性と限界という2つの認識が内包されていることを示した。そして,なぜ夢の実現可能性に限界を感じながら,夢を追い続けることができるのかを検討した。 その結果,第2に,「夢の実現には時間がかかる」という認識枠組みが獲得されることによって,また第3に,周囲のバンド仲間の状況を選択的に参照する行為によって,夢を実現できていない自己の正当化と将来における夢の実現期待が同時に達成されることで,夢を追い続けることが可能になっていると指摘した。加えて,第4に,夢の実現可能性を低く見積もる因習的見解からの作用が,バンドマンの夢追いアスピレーションを加熱させることで,夢追いの継続という意図せざる帰結を導いてしまうことを明らかにした。 以上の知見をもとに,先行研究で論じられてきた進路選択・進路指導の実践を再考し,教育社会学においても積極的に学校外部へと視野を広げて,子ども・若者の進路選択プロセスを検討する必要があると論じた。
著者
武石 典史
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.25-45, 2010-11-30 (Released:2014-07-03)
参考文献数
41

教育社会学的な歴史研究は,官僚群との対立や青年将校運動といった昭和陸軍の動きを,「陸軍将校=農業層」「帝大生・官僚=新中間層」という階層的差異をもとに葛藤モデルから論じてきている。しかし,そこでは陸軍将校の有力構成員たる陸幼組は分析対象から捨象されがちだった。本稿は,陸軍将校を「陸幼組/中学組」という二つの集団に分けつつ,その選抜,学歴キャリア,昇進の諸構造を検討したうえで,昭和陸軍の動向に考察を加えるものである。 陸軍将校を構成する陸幼組と中学組は社会的背景の重なりは小さかった。また,前者が陸士,陸大の成績が良かったゆえ,昇進でも(農業出身の多い)後者より優勢だった。すなわち,学歴・成績主義を原理に形成される将校集団の構造は,上層において農業色が弱化し都会色が強まるという傾向を帯びていたのである。 大正後期以降の政治的変化のなかで,陸軍は自己益と国益を,統帥権という威力に拠って重ね合わせていこうとする。統帥権の顕在化,および軍事専門職としての強い自覚を促すという,新たな社会状況のなかで始動した昭和陸軍の主力は,農業出身層ではなく,二・三代目の武官たちであり,官・軍エリートの衝突もこの文脈で把握されるべきだと思われる。 確かに,農業層出身の陸軍将校は少なくなかった。しかし,彼らは昇進構造において傍流に位置し,影響力をもちえなかったのである。
著者
湯川 やよい
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.163-184, 2011-06-10 (Released:2014-06-03)
参考文献数
25
被引用文献数
4 1 1

本研究は,高等教育・研究者養成における教員─学生関係の社会学研究として,アカデミック・ハラスメントの形成過程を明らかにする。そのため,医療系の女性大学院生を事例に,学生が「被害」を認識する契機となるエピソードに着目し,被害の背景にある教員─学生間の信頼関係の変遷を,対話的構築主義アプローチを用いたライフストーリーとして再構成する事例研究を行う。 考察の結果,学生が「被害」と認識した出来事は,それ単独として存在するのではなく,多忙化した教員の研究・教育関与の低下,研究室間の不文律システム,教員同士の確執等,日常に埋め込まれた諸文脈の累積により学生の教員への信頼が失われ,その結果初めて学生にとって不快で不当な「ハラスメント被害」が構築されるという過程が明らかになった。 また,対話的構築主義アプローチをとったことにより,上記のハラスメント形成過程は,従来のアカデミック・フェミニズムの中でのモデル・ストーリーとなってきた「ジェンダー要因を中核とするハラスメント体験」の語りに対してずれを含む新たな対抗言説として導出された。 研究室の教員─学生関係で生じる困難を,単に学生相談の臨床心理からのみ論じるのではなく,背景にあるジェンダー関与的文脈と非関与的文脈の総体について社会学的に検討し,政策・教育機能分析と指導の実践レベルの研究とを接続する必要があると考える。
著者
矢野 眞和
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.90, pp.65-81, 2012-06-15 (Released:2013-06-17)
参考文献数
9
被引用文献数
2

本稿では,「政策」という補助線を設けることによって,学力と責任の関係を考察する。はじめに,学力政策の基本的枠組みに基づいて,学力政策の特質を二つ指摘し,この特質と責任の関係を述べた。一つに,学力は,生徒と教師の相互行為から生産される共同生産物であり,製品のような製造物責任を問うことが難しい。いま一つの特質として,教育に投入される資源の性質に着目する必要があり,法的責任とは別に教育費の経済的責任が重要になる。 第二に,学力の生産関数を測定する困難性を整理した。この困難に早急な解決を図ろうとする政治勢力が重なると「もっともらしいけれども,危うい」政治ショーが起きやすくなる。 第三に,困難な学力問題を広く理解するためには,国民の意識ないし世論の動きを視野に入れる必要性があることを指摘し,私たちが実施した「教育と社会保障の意識調査」結果を報告した。わが国の生涯政策への関心・選好・税負担の意識には,強いシルバーポリティクス(年齢格差)が働いており,教育政策への関心は二次的,三次的な優先順位になっている。「教育劣位社会」とでもいうべき日本の現状を明らかにした。 最後に,わが国の生涯政策の経済的責任がねじれていることを踏まえて,学力政策とトータルの教育政策を議論する一つの道筋を提示した。

41 0 0 0 OA 知の格差

著者
長谷川 哲也 内田 良
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.94, pp.259-280, 2014-05-31 (Released:2015-06-03)
参考文献数
23
被引用文献数
1

本研究の目的は,大学図書館の図書資料費に関して,大学間の格差の実態とその推移を明らかにすることである。資料の電子化という地殻変動のなかで,大学間の格差はどう変容してきたのか。図書館研究と高等教育研究はいずれもこの問題を等閑視してきただけに,格差の全体像を丁寧に検証することが求められる。 とくに高等教育の資源格差は,各大学の機能の相異として是認されうるため,本研究では4つの視点──大学間の不均等度,大学階層間の開き,時間軸上の変化(縦断的視点),大学本体との比較(横断的視点)──を用いて多角的に分析をおこなう。分析には『日本の図書館』の個票データを用いた。国立大学法人化以降(2004-2011年度)の図書費,雑誌費,電子ジャーナル費に関して,「大学間格差」(個別大学間の不均等度)を算出し,さらに「大学階層間格差」(群間の開き)を明らかにした。 主な知見は次のとおりである。第一に,電子ジャーナル費では大学間の不均等度は縮小しているものの,階層間格差はむしろ拡がっている。これまで電子ジャーナルの購読では階層間格差は小さくなると考えられてきただけに,重要な知見である。第二に,雑誌費では大学間の不均等度が高くなり,さらに階層間格差が拡大するという,深刻な事態が生じている。「電子化」の背後で進むこれら図書資料費の「格差化」にいかに向き合うかが,大学図書館の今後の課題である。
著者
佐伯 胖
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.30-52, 1992-10-10 (Released:2011-03-18)
参考文献数
26
被引用文献数
1
著者
佐川 佳之
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.47-67, 2010-11-30 (Released:2014-07-03)
参考文献数
23
被引用文献数
3

フリースクールに関する従来の社会学的研究において,フリースクールの支援者は,脱学校や不登校の脱医療化を主張し,不登校児の「受容と共感」の支援を行う担い手として認識される傾向にある。だが,支援者が社会的に流通する不登校支援の言説や役割をいかに解釈し,活動を行っているのかといった支援者側の視点からの分析は充分になされていない。本稿は,支援者の不登校児との関わりに伴う感情経験の過程に注目し,民族誌的な視点からフリースクールの支援の複雑な実態に迫るものである。 不登校支援において,支援者は「受容と共感」の感情規則に基づいた支援を求められ,その関わりを通じて不登校児の安心の喚起を試みる。しかし,その実践は常に成功するわけではなく,生徒との関わりの過程の中で問題が顕在化する。本稿は,その事例として生徒の振る舞いと「不安」への対処から生じる,「受容と共感」の感情規則との葛藤の経験を取り上げ,検討する。この問題に対して,支援者はフリースクールを含めた不登校支援において広く流通する「障害」の言説を接合し,生徒を差異化することで葛藤を修復すると同時に,既存の支援のあり方を再構成し,生徒個々に対応した支援を実践している。こうした一連の過程からすれば,フリースクールの支援とは,ローカルな社会状況の展開に応じて,新たな支援のあり方を再構成するという動的過程として再定位できる。
著者
上間 陽子
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.87-108, 2015-05-29 (Released:2016-07-19)
参考文献数
9
被引用文献数
4 2

本稿は,風俗業界で働く若年女性たちの生活・仕事の中で直面する種々のリスクへの対処の仕方,その対処において果たす彼女たちの人間関係ネットワークの機能,そのネットワークの形成の背景,特にネットワーク形成において学校体験のもつ意味を捉えることを課題とした。 本稿は,筆者らが取り組んでいる,沖縄の風俗業界とその界隈で働く若者への調査の対象者の中から特に2人の女性(真奈さん・京香さん)を取り上げ,それらの比較対照を通じて上記の課題を追究した。2人は,中学校卒業時点で学校社会のメインストリームから外れ,地元地域からも排除されていた点で共通する。だが,真奈さんは中学校時代不登校であり,同世代・同性集団に所属した経験をもたず,多少とも継続的な人間関係は恋人とのそれに限られていたのに対して,京香さんは中学時代地元で有名なヤンキー女子グループに属し,その関係は卒業後も続き,困難を乗り切り情緒的安定を維持する上での支えとなってきた。そして京香さんが仕事場面でのリスクに対処する戦術も,そのグループに所属する中で身につけた非行女子文化の行動スタイルを流用するものだった。 2人のケースの比較検討から浮かび上がってきたのは,学校時代に保護された環境の下で人間関係を取り結ぶ機会としてその場を経験できることは,移行期に多くのリスクに直面せざるを得ない層の若者にとって,相対的な安全を確保する上で不可欠なネットワークを形成する基盤となりうるものであり,その意味は決して小さくないという点であった。
著者
上床 弥生
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.27-48, 2011-11-30 (Released:2012-12-03)
参考文献数
22
被引用文献数
5

本稿の目的は,中学校における生徒文化とジェンダーの関係に注目し,ジェンダーを軸としたピア・グループの分化とそれによる秩序形成・維持のメカニズムを明らかにすることである。 その際,本稿では Wieder の「コード」概念を援用し,中学校での学級観察と生徒へのインタビュー調査から,生徒同士が共有するジェンダーに関するコードを「ジェンダー・コード」として抽出し,分析に用いた。 分析の結果明らかとなったのは,中学校の教室では,生徒の行動をコントロールするコードとして,男子と女子との間の距離化や男子優位の上下関係で行為を説明するジェンダー・コードが,圧倒的に重要なものとして存在していたことであった。フォーマルな学校教育においてはジェンダーが回避されているにも関わらず,生徒たち自身が,行為解釈のなかでジェンダー秩序を維持していたのである。 もちろん本調査でも,ある場面をめぐって男子と女子で解釈に用いるコードが対立し,ジェンダー・コード自体が揺らぐこともあった。しかし,その場合でも,生徒による再解釈過程を経て,ジェンダー・コードはさらに修復・維持されていった。 このように,本稿ではジェンダー・コードが,特に中学校の教室においてはいかに秩序維持と分かちがたく結び付き,また生徒同士の関係性においても重要なものとして機能しているのかが示されたのである。
著者
大滝 世津子
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.79, pp.105-125, 2006-12-10 (Released:2011-03-18)
参考文献数
15
被引用文献数
2 1

The purpose of this study is to examine the relationship between the formation of groups in kindergarten and the process of gender identification by children through their kindergarten life.In the field of sociology of education in Japan, there have been some studies on the process of gender identification. However, they have focused on the intensification process of gender categories, but tended to ignore the trigger that leads children to recognize their own “correct” gender, and how they do so. The author observed this process at a private kindergarten in Kanagawa, Japan, from April to October 2005. The author observed 31 children, aged from three to four years old, in two classes.The author carried out a pseudo-experiment in this kindergarten. In this experiment, the criteria of gender identification was conceptualized by using the discussion of “appel”(roll call) following the theory of Althusser. In other words, the observer counted the number of children who responded when the kindergarten teachers called out to them using the category of onnanoko (girls) or otokonoko (boys), and recorded the results periodically.It was found that once a homogeneous sexual group was formed in a class, the children's gender identification process was accelerated. In addition, the time of gender identification influenced by the peer group differed between the two classes. The latter finding shows that the process of gender identification is not only dependent on the child's own development process, or the home environment, but is also dependent on the kindergarten's peer group activities.
著者
大内 裕和
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.69-86, 2015-05-29 (Released:2016-07-19)
参考文献数
13
被引用文献数
1 2

この論文の目的は,大学生の奨学金問題を検討することである。 奨学金利用者の数は,1990年代後半以降に急増した。1990年代半ばまで,奨学金利用者の比率は全大学生の20%ほどであった。その後,2012年には全大学生の52.5%に達した。 奨学金利用者の増加は,1990年代以降の4 年制大学への進学率の上昇を背景としている。女性の短大進学者が減り,高卒の就職者数も減少した。民間企業労働者の平均年収と世帯所得は,2000年~2010年にかけて急激に減少した。 近年の奨学金制度の変化も,奨学金をめぐる社会状況に大きな影響をもたらした。1984年の日本育英会法の改定によって,有利子の貸与型奨学金が創設された。有利子の貸与型奨学金の増加に拍車をかけたのが,1999年4 月の「きぼう21プラン」であった。2004年に日本育英会は廃止され,日本学生支援機構への組織改編が行われた。日本学生支援機構は,奨学金制度を「金融事業」と位置づけ,その中身をさらに変えていった。 この奨学金制度は,1990年代後半からの4 年制大学進学率の上昇に貢献したことは間違いない。しかし,この有利子を中心とする奨学金制度の拡充は,奨学金返済の困難という問題をもたらしている。 現在の奨学金制度には改善すべき課題が存在している。第一に奨学金返還の困難を解決することである。第二に貸与型中心の制度から給付型中心の制度へと変えることである。
著者
丸山 和昭
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.75, pp.85-104, 2004-11-15 (Released:2011-03-18)
参考文献数
33

Organizations of clinical psychologist were organized on two occasions in Japan at the initiative of professional societies. The move toward professionalization in the 1960s used a strategy which gave priority to the acquisition of specialist status and autonomy than to obtaining a state-granted qualification. As a result, it failed to obtain the support of professionals working in the clinical field. However, in the 1970s, the whole clinical mental occupation reached consensus on the need to promote specialist status, from a sense of crisis brought about by the unwillingness of the Ministry of Health and Welfare and doctors to create a qualification. In the second professionalization in the 1980s, calls were made for the advancement of specialist status and the establishment of a training system. Thanks to a strategy of professionalization aimed at developing an educational field, it came to attain “miraculous” growth.This professionalization of clinical psychologists was based on the leadership of professional societies, which developed specialist attributes for the cultivation of a “science-profession” core based on a “dual strategy”, to gain professional status. The clinical psychologists used a dual strategy toward the Ministry of Health and Welfare and the Ministry of Education, expanded the market autonomously and produced a great deal of “science-profession.” However, it can be said that the professional society-led model has the danger of following the route of very unstable professionalization, which can be easily influenced of many domains although it has the potential for expanding new markets and the development of an autonomous training system.