著者
亀山 純生
出版者
東京農工大学
雑誌
東京農工大学人間と社会 (ISSN:13410946)
巻号頁・発行日
pp.75-93, 1990-03-30

親鸞の「僧に非ず俗に非ず」という自己規定は彼の在家主義の立場を示すものとして有名である。しかし,これを彼の信仰・思想構造に内在させて論ずる者は,実は私自身も驚いたことに,ほとんどない。そして,非僧非俗論の解釈もかなり多様である。別の機会に私はこれをとりあげて,次の7つの解釈類型に整理した。すなわち,I「非偽僧(非-官僧・俗権僧)かつ非在俗=真僧(禿)」論。 II「非真僧かつ非俗権的僧俗=愚禿(偽僧の自覚)」論。III「非俗権=非僧俗」論。IV反出家主義。「非-出家の遁世かつ非-出家即遁世(貧世)=末世の真仏弟子(禿)」論。V「愚禿/非僧非俗」論。VI「不可-僧俗」論。VII「不可僧かつ不可俗=超越的理念(禿)」論。そして,それぞれの意義と問題点を指摘し,これを統一した「親鸞の非僧非俗論」の必要を提起した。本稿は,これをふまえて私なりの積極的解釈の展開を試みることを課題とする。その際の主要な論点-多様な解釈類型の統一の視座-をあらかじめ提示すればこうなるであろう。第1に,親鸞の反権力主義といわゆる旧仏教批判の内在的関係,第2に,このことを主内容とする外的批判と彼の内的批判との内在的関係(愚禿の解釈),第3に,彼の禿の自称と愚禿の自称との関係である。