著者
LAI SHANGYU 于 濰赫 池田 真利子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.233, 2023 (Released:2023-04-06)

日本統治時代を経験した台湾・韓国には,現在でも数多くの有形・無形の関連遺構が存在する。戦後,両地域の政府は戦後体制の確立のなか,日本統治時代の遺構の撤去・破壊を行った。一方で,1990年代にはこの撤去・破壊に対する市民運動が発生し,これを機に日本統治時代の遺構を文化財として認識する機運が高まり,以降,これらの遺構は「遺産化」されるようになった。また,2000年代以降の登録文化財制度の新設により,日本統治時代の遺構の文化財指定・登録は一層進み,工場や旧官僚社宅のような「大型の日本統治時代遺産」を中心に積極的な活用が行われるようになった。台湾ではイギリスの文化創造政策の影響を受けた「文化創意園区」が統治時代遺産で発展し(于・池田,2020),また群山・木浦・大邱等を例とし,韓国の地方都市では観光資源として積極的に活用される場合もある。これらの文化遺産を巡る視点は,双方の国の戦後体制において流動的に変化し,また1990年代の台湾本土化運動では台湾のアイデンティティの一部として受容され,新たに意味付けられる側面も確認される。 さて,日本統治時代遺産に関する文献や先行研究は複数あるが,これらは大型の日本統治時代遺産に注目したものが主体であり,また,地権者が民間・個人に帰属するため,保存・活用の難しい「リトルビルディング遺産」を扱った文化遺産学的研究はない。また,文化遺産を巡る視点が絶えず変化し,せめぎあうなかで,「リトルビルディング遺産」の利用者は,なぜ,どのような視点に基づき,どのようにそれらを利用しているのか等,関係主体へのヒアリング調査が極めて意味を有する一方で,台湾・韓国においてもこれらの研究は不足する。 したがって本稿の研究目的は,台湾・韓国における日本統治時代遺産を対象として,その形成背景と保存の経緯を概観するとともに,なかでも延べ面積が100坪以内であり,住宅用途以外で使用される「リトルビルディング遺産」に焦点を当て,利用の現状を明らかにすることである。 本研究は,文献調査(先行研究や報告書の現地入手),データベース作成(各文化省データベースのほか,書籍,Web情報),現地調査の順に行った。また現地調査では,計14件の半構造化インタビュー調査(所要時間40分~1時間程度)を行った。本研究対象地域は,いずれも旧日本人高級住宅街として形成された台北の旧御成町・旧幸町,およびソウルの厚岩洞(以下,旧三坂通)である。 本研究では,台湾,次に韓国で日本統治時代遺産の保存・活用の体制が整備されたこと,そしてこれらは大型の日本統治時代遺産に顕著であるのに対し,リトルビルディング遺産は民間において都市開発の回避や景観条例の制限等の結果,消極的かつ偶発的に残されていること,またこれらを使用する動機として日本統治時代の遺構であることは弱く,同様に流動的な対日感情がこれらの利用に影響を与えてはいないこと等が明らかとなった。論争的な側面を有する植民地遺産の一例は,保存・活用を自明のものと捉える態度に疑問を投げかける。他方で,これら有形の遺構は,日常的に使用されることで結果的に残され,過去の歴史的記憶の参照を可能とする。