著者
井上 果歩
出版者
日本音楽学会
雑誌
音楽学 (ISSN:00302597)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.35-50, 2020

&nbsp;&nbsp;アメルス『音楽技芸の実践』(1271年)は、ケルンのフランコ『計量音楽技法』(1280年頃)の影響を受ける以前の計量音楽論、すなわち前フランコ式理論(13世紀半ば〜1270年代頃)を伝えているが、同時代のほぼ全ての著作が言及するモドゥスやテンプスの概念には触れておらず、異色を帯びている。そのためかこの理論書の直後には3段落ほどから成る作者不詳の小論文(以下『補遺』)が付され、そこではモドゥスやテンプスが詳述される。<br>&nbsp;&nbsp;ただし『補遺』をアメルスと比較すると、音価の説明が重複し、またリガトゥラの解釈も異なるなどその内容面で不整合な点が見られる。従って本論文は『補遺』が何を意図して書かれたのか、アメルスと異なるのであればどのような他の13世紀の著作と関連しているのかを検討した。結果、『補遺』は6つのモドゥスに関しては『ディスカントゥスの通常の配置』(13世紀半ば)やヨハネス・デ・ガルランディア『計量音楽論』(1260年頃)などの前フランコ式理論を引用し、リガトゥラとそのプロプリエタス(以下Prop)に関してはフランコの理論とほぼ一致することが分かった。つまり、『補遺』のテクスト全体は1280年前後の種々の理論書の抜粋集になっている。<br>&nbsp;&nbsp;さらに譜例に注目すると、他の理論書には無い「縦線付き」のProp有りの上行3音リガトゥラが見られた。これはおそらくテクストで上行リガトゥラの説明が欠落していることに起因し、何者かが譜例を書く際に、テクスト中の「Prop有りの下行リガトゥラには縦線を伴う」という説明を上行形にそのまま応用したものと考えられる。一方で譜例は、Prop有りの上行2音リガトゥラには従来の縦線の無い記譜を適用しており、一貫性に欠く。このような譜例のリガトゥラを巡る混乱は、当時の計量音楽論の中でもリガトゥラの規則は特に難解で人々の間でその理解度にずれがあったことを暗示しているであろう。