著者
渡邊 光 今泉 政吉
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.3, no.10, pp.951-966, 1927

以下二三の感想とでも云ふ可きものを記して此小篇を終ることにする。<br>一、火山分布圖を一見しても明な通り、在來稱せられて居た所謂火山脈又は火山帶中のあるものにはその存在の意義の極めて不明瞭のものがある。それは相當距離の距つた所の火山を結んで作つた火山脈又は帶なるものは、各人の主觀に依り、癖に依つて如何様にも引き得るものであるからである。故に地理的位置の接近して居て、しかも類似の性質を具有する火山を纒めた方が寧ろ要當と思はれる。<br>二、我國に於ける火山は、シュナイダー氏の分類に從へば多くコニーデ状であつて、トロイデは寄生的のものか又は小規模のものに過ぎない。標式的のアスピーテはなく、本分布圖中にアスピーテの記號を以て表しカものは比較的偏平な火山と云ふ程度のものである。ホマーテ、マール、ベロニーテは稀に見ることが出來るのみである。三、火山が地壘上に生ずる傾向があるか、又は陷没地に生ずる傾向があるかに就いては、未だ我國の地形調査が全般に亙つて行はれて居ないので不明瞭な點も多いが、陷没地内に噴出したものが大多數を占めて居るしとば事實である。<br>四、辻村助教授は日本の海岸地形の調査に於て、多くの火山地方はその海岸地帶が沈降の形式を具.へて居ることを認めちれた。例へば北海道は殆ど全島を通じて降起海岸であるが、蝦夷富士火山群附近に於ては室蘭、小樽附近の溺れ谷があり、其他知床半島、増毛附近も亦沈降性であると云ふ。又同様の之とは八甲田山麓の青森灣、伊豆半島、九州の火山地方等に就ても云ふことが出來るのである。期くの如ぐ、海岸附近の火山地方は一般に沈降區域と一致するのであるから、内陸に存在する火山地方も亦直接の證據こそ得られないが、沈降區域に屬するのではなからうかとの想像を抱かせるのである。<br>五、西南日本外帶及び東北日本の阿武隈、北上の地帶に全然火山を缺き、その内側にのみ多く之を認め得ることは決して偶然の結果とは思はれない。<br>六、地形的斷層網と火山噴出との間には明な對比關係は認められないが、斷層網の極度に發達せりと稱せらるる西南日本内帶には火山は少く、これらとて多くは小規模のトロイデであるのに對して、これの適度に發達して居る北海道、東北日本西部、九州地方には多くの火山が密集して噴出して居るのを見るのである。又斷層網發達の極めて惡い西南日本外帶、阿武隈、北上の地帶に火山を全く缺くことも何等かの意味がある様に思はれる。<br>七、我國に於て地形的に火山體と認められるものゝ多くが、第三紀最新層と稱せられる地層上に然も不整合的にのつて居るのを見るのであるが、第三紀層に被はれて居る様なものは絶えて之を見ないのである。荒船火山體の如き、地形上火山體として認められない迄に侵蝕、破壊の進んだものが尚第三紀最新層上にのる受とは既に佐川理學士の認められた所である。即ち換言すれば、我國に於ては地形的に火山體として認めらるゝものは、その火山體建設の最後の活動を修了したのは第三紀以後であると云ふことが出來る様である。而して第三紀時代の地形は、火山地形のみに就て云へば、既に侵蝕しつくきれて殘つて居ないのではなからうかとの疑を抱かせるのである。