著者
伊東 栄志郎
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.123-137, 2001-12-31

本論は、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の主人公レオポルド・ブルームがフリーメイソンの会員であると人々から噂されていることの真偽とその意義について論じたものである。第8挿話で、ノーズィ・フリンがデイヴィ・バーンのパブでブルームがフリーメイソンであると噂し、第12挿話では「市民」がやはりブルームがフリーメイソンであると示唆する。第18挿話では、彼の妻モリーでさえも自分の夫がフリーメイソンであったと考えている。ブルーム自身はそのことは決して口外しないのだが、彼の無意識を映し出す心理劇となる第15挿話では、彼は見事にフリーメイソンのマスターを演じている。彼がフリーメイソンだとすれば、それは何を意味するのか?実は、このことはブルームがユダヤ系であることと深く関わっている。帝政ロシアはじめヨーロッパ各地での排斥運動を受けて、1904年前後に急激にユダヤ人がアイルランドに流人してきたことで、当時のアイルランドではユダヤ人排斥運動が小規模ながらリマリックやコークで起こりつつあったのである。一方、フリーメイソンはユダヤ教を認知しており、ユダヤ系2世であるブルームがフリーメイソンに入会してもおかしくない当時の社会状況が背景にあった。ブルームが本当にフリーメイソンなのかどうかは定かではない。だが、ブルームがフリーメイソンかもしれないという噂が小説内で戦略的に流されているのは、当時の世相を反映した社会風刺なのである。
著者
伊東 栄志郎
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.1, no.4, pp.437-452, 1999-12-31

ジェイムズ・ジョイスは、『ユリシーズ』に関してこう語った : 「もしダブリンが破壊されても、この小説を読めば再建が可能だ」。ブルームを乗せた葬式馬車は確かにサックヴイル通りを進んでいるのに、なぜか彼は有名な中央郵便局や賑やかな通りの様子を伝えようとしない。また、グラスネヴィン墓地での葬式参列中には、彼は土葬死体が腐乱する様子を次々と妄想していく。本稿では、この挿話に1916年の復活祭蜂起をはじめとする独立戦争の祥子(愛国主義)を読み込んでいる。
著者
伊東 栄志郎
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.277-288, 2006-03-01

多くの批評家たちが論じてきたように、オットー・ヴァイニンガーの『性と性格』(1903)は、ジェイムズ・ジョイスに『ユリシーズ』を書く刺激を与えたようである。ヴァイニンガーの見解は、マリリン・ライツバウムにより、次のように要約される:「ヴァイニンガーによれば、あらゆる人間存在にあって、女性が負の勢力であるように、ユダヤ人もそうである」。本稿は、ヴァイニンガーの視点より、『ジアコモ・ジョイス』における反ユダヤ主義および反フェミニズムを論じたものである。ジョイスがトリエステでおそらく1912年から1914年の間に書いた『ジアコモ・ジョイス』は、ユダヤ的要素への言及がほとんど見られない『若い芸術家の肖像』と、ユダヤ人の名前やユダヤ的要素への言及が満載の『ユリシーズ』を結ぶ習作に位置づけられる。トリエステは、ジョイスの時代には、西欧と東欧の境界に位置していた。エドワード・サイードの「オリエント」の定義を適用すれば、ジョイスに馴染みのあるヨーロッパと、馴染みのない「オリエント」の間にトリエステはあったのである。『ジアコモ・ジョイス』は、官能的な空想を描いたスケッチブックで、ジアコモは「謎の女性」に対する自分の欲望をたどる。作品には、性的な、あるいは反フェミニズム的な含蓄が響きわたるが、「意図的な」反ユダヤ主義的・反フェミニズム的調子ではない。ジアコモあるいはジョイスにとって、その生徒は魅力的でエキゾチックな女性なのだが、たまたま彼女がユダヤ人だというにすぎないのである。この心象スケッチを描きながら、ジョイスはユダヤ的視点から書くことを学んでいたはずである。かくして、ジョイスは、2つの作品、『ジアコモ・ジョイス』と『ユリシーズ』の創作のためにヴァイニンガーから2つの概念、「女性的なユダヤ人男性」と「自己嫌悪に陥ったユダヤ人」を借り受けたのである。
著者
伊東 栄志郎 Eishiro Ito Liberal Arts Center Education and Research Iwate Prefectural University
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.147-159, 2014-03-01

本稿は、アイリッシュ・オリエンタリズムがどのようにジェイムズ・ジョイスと彼の同時代人達に影響を与えたかを探求する。M. マンスーアは『アイリッシュ・オリエンタリズム物語』で、アイルランドのオリエンタリストたちは「大英帝国の統治と意地に大いに貢献してきた」と語る(13 頁)。ジョイスは、英語とは異なりアイルランド語は東方起源で、多くの言語学者たちから古代フェニキア人の言葉と同一視されてきたと主張した(CW 156)。彼は、多くのアイルランド人たちが東方の傑作を翻訳し、紹介することで、英国芸術と思想に大きく貢献してきたと記した(CW 171)。なぜ多くのアイルランド人がオリエント学に興味を抱いてきたのであろうか?若きジョイスは、ジェイムズ・クラレンス・マンガン、ジョージ・ラッセル、W. B.イェイツといったアイリッシュ・オリエンタリストに影響を受け、神智学やオリエント学をダブリンで学んだ。ジョイスの時代のアイリッシュ・オリエンタリストは、しばしばアイルランド文化を英国文化から区別する必要があった愛国者たちであった。アイルランドのオリエンタリズムは大英帝国に対するナショナリズムと強い関係をもって発展してきた。例外は、ギリシャ系アイルランド人ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)で、日本人妻を娶り、日本について多くの論考を書いた。ジョイスを中心としてオリエント学を考察すると、東洋と西洋の文化交流が双方向に行われてきたことを証明することが出来るのである。This paper aims to explore how Irish Orientalism influenced James Joyce and his contemporaries. M. Mansoor mentions in The Story of Irish Orientalism that Irish Orientalists "contributed so much to the administration and maintenance of the Commonwealth" (13). Joyce claimed that the Irish language, unlike English, "is oriental in origin, and has been identified by many philologists with the ancient language of the Phoenicians"(CW 156). He also noted that many Irish men have greatly contributed to English art and thought by translating and introducing some Oriental masterpieces(CW 171). Why have many Irish people been interested in Oriental studies? Young Joyce was known to have been influenced by Irish Orientalists like James Clarence Mangan, George Russell and W. B. Yeats and learned Theosophy and Oriental studies in Dublin. Irish Orientalists in Joyce's time were often the nationalists who needed to differentiate Irish culture from Anglicized culture. Orientalism in Ireland had developed with a strong connection with their nationalism against the British Empire. One exception is Lafcadio Hearn, a Greek-Irish, who married a Japanese wife and wrote many articles about Japan. Oriental studies focusing on Joyce can prove that the cultural exchanges between East and West have been carried out interactively.
著者
伊東 栄志郎
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.89-102, 2012-05

T. S.エリオットは、「『ユリシーズ』、 神話と秩序」で、ジェイムズ・ジョイスは『ユリシーズ』を「神話的方法」で書いたと説明した。しかしながら、ジョイスは単に1904年のダブリンを『オデュッセイ』に平行して書いたのではなかった。彼は多くの非ヨーロッパ的要素をテクストに織り込み、ダブリンを多国籍化/国際化したのだ。本稿は、ジョイス作品群におけるユダヤ、アラビア的要素を含めたオリエンタル・モティーフを再考することを目的とする。とくに『アラビアン・ナイト』とコーランへの引喩は独立した章で分析される。キリスト教徒は聖書に描かれたユダヤ民族の歴史や民話に馴染んできた。ユダヤ人はオリエントとヨーロッパの境界に生きてきた。中世以来、ユダヤ人は西洋において、西洋人としてもオリエンタルとも見なされてきた。ユダヤ的あるいは他のオリエンタルな要素を考察することが、ジョイスの文学的東方への旅を理解する第一歩となり得るのである。「食蓮人たち」挿話の最後で、ブルームはトルコ式風呂でくつろぐ自分の姿を想像する。『ユリシーズ』では預言者ムハンマドが3度、『アラビアン・ナイト』のいくつかの物語も言及される。『フィネガンズ・ウェイク』では、ショーンはシェムのことをこう言う:「おれはやつの姿全部のコーラン定足数を、おれの網膜歳入に入れてるんだ、ムハンマドーン・マイク」(FW 443.1-2)。ジョイスは、ジョージ・ラッセルやW.B. イェーツに影響されて、神智学やオリエント研究にダブリンで興味を持った。大陸へ亡命して、彼はユダヤ人に興味を持った。そのことは『ジァコモ・ジョイス』や『ユリシーズ』に反映されている。ジョイスのトリエステでの蔵書はユダヤ人に関する数冊やアルマンド・ドミニチスによる『アラビアン・ナイト』の伊語訳も含んでいた。1920年ジョイスはパリへ行き、不特定多数の非ヨーロッパ人に出会うことができた。ジョイスのパリでの蔵書(1930年代後半)は、アングロ・アイリッシュの著名なオリエント学者リチャード・F・バートンの英訳『千夜一夜物語』やJ.-C. マードルの仏訳コーランも含んでいた。外国に暮らし、生涯を通してジョイスはダブリンを多国籍化手法で描いたが、部分的には、それは彼のキリスト教に対する双価性と東洋の他宗教の容認のおかげなのである。
著者
伊東 栄志郎 BRIVIC Sheldon BROWN Richard 戴 从容 金 吉中 會 麗玲
出版者
岩手県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009-04-01

本研究「ジェイムズ・ジョイスと東洋文化の系譜学」は、従来20世紀ヨーロッパ文学最高峰として論じられてきたジョイス作品の東洋文化的要素を検証したものである。ジョイスの活躍した20世紀前半はアジアにおいては大日本帝国の時代でもあった。研究者は日本の帝国主義を一方的に断罪する研究が増える可能性を危惧しており、東アジア諸国の研究者たちも納得できる形で、日本や東アジア文化とジョイスとの関係を学術的かつ体系的にまとめる役割を担いたいと願い、積極的に韓国や中国の関連学会に研究発表をした。交付を受けた5年間において、国際学会発表9件、学術雑誌掲載論文8件(内3件を韓国、1件中国で出版)という成果を上げた。