- 著者
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坂輪 宣敬
伊藤 瑞叡
三友 健容
久留宮 圓秀
佐々木 孝憲
- 出版者
- 立正大学
- 雑誌
- 一般研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 1988
敦煌莫高窟の壁画、出土文書は、発見以来多くの学問領域から注目され研究が為されてきたが、なお未解決の問題も多く残っている。本研究は対象を法華経にしぼり、壁画、彫刻、出土古写本類を素材に法華経鑚仰の様子の一端を解明した。美術の分野では法華経変を考察対象とし、その規模別分類を試み、大規模な経変画が時代を経て形式面、内容面ともに変化が生じたことを明し、更に描かれる品に注目して、その出現頻度を図示した。描かれる頻度によって製作年代における鑚仰の様相が推定されるが、見宝塔品、普門品の両品は特に盛んに造られた。これらの品に就ては単独に描かれる例も多く、前者は盛唐期に多く、西壁に描かれる例が大部分であった。後者はそれ程の傾向は窺知できなかったが、宋代まで、盛んに製作された。古写本ではスタイン本・ペリオ本を総合的に研究し、調巻・奥書に就て考察した。調巻では現行の七巻本、八巻本の他に十巻本という敦煌独自の遺例があり、その製作にあたり、竺法護訳「正法華経」の影響が看取された。また奥書の検討によって、近親者等の供養のために写経を行った例が極めて多いこと、長安で大規模な書写が行われ、それが多数敦煌に送られていたことなどを指摘した。北京本に就ては、未だ殆ど研究されていなかったが、「妙法蓮華経」を抽出し、写本点数が諸経典中第一であることを明し、また遺例の品数、長さ等を調査し、七巻本、八巻本、十巻本混在の様相を発見した。最後に、派生的テ-マである敦煌菩薩竺法護の訳経に就ての考察を試み、訳経の年代、訳経地、没年等の未解決の諸問題にスポットをあてた。特に訳経地に就ては、筆受などの訳経補助者の名を手掛りに「須真天子経」「正法華経」等が長安訳出であることを示した。また竺法護の訳経の特徴として校勘の不十分さなどに論及し、その原因として戦乱の時代であったこと、国家の保護がなかったことなどを指摘した。