著者
佐々木 英和 Hidekazu SASAKI
出版者
宇都宮大学共同教育学部
雑誌
宇都宮大学共同教育学部研究紀要. 第1部 = The Research Bulletin of the Cooperative Faculty of Education Utsunomiya University. Section 1 (ISSN:24325546)
巻号頁・発行日
no.73, pp.121-138, 2023-03-10

本稿は、日本語「自己実現」を例題として、複数の一般的な国語辞典を用いて、時間的経過を追ったり比較したりしながら、調査を行ったものである。この単語の源流や用語法を効果的に探っていくための研究の見地が獲得され、実際に進められた。第一に、「自己実現」を考える際に、「自我実現」という言葉も同時に探るべき必要性が明らかになった。「自己」も「自我」も、ともに英語“self”に相当するが、微妙な違いに注意を払う必要がある。第二に、自己実現とは、倫理学説として把握され続けてきており、辞書的には、学説として見出しにされることもしばしばであった。第三に、アメリカの心理学者のアブラハム・マズローの欲求階層論の自己実現概念が普及しているのを意識しつつも、イギリスの思想家のトーマス・ヒル・グリーンの重要性こそが見直されなければならない。
著者
佐々木 英和
出版者
宇都宮大学
雑誌
宇都宮大学教育学部教育実践総合センタ-紀要 (ISSN:13452495)
巻号頁・発行日
no.28, pp.341-350, 2005-04-01

教育を「教えること」に還元する形で定義してしまうような固定観念は、教育実践にとって必ずしも有益ではない。というのは、教育関係の原点である「教える-学ぶ」関係は、相互に間接的な関係であるのみならず、偶然性にも満ちた関係だからである。それゆえに、この関係は、「教える-教わる」の小さな循環に閉じこめる方向にではなく、「生きる-学ぶ」の大きな循環へと開いていく方向で理解せざるをえない。その上で、非常に複雑な「教わる-学ぶ」関係の可能性を探っていくと、教育について「学び」を起点に置いて組み替えてみれば、それを「教え育てること」と「教わらないがゆえに育まれるもの」とを絶妙に組み合わせながら、学ぶ側の「自ら学ぶ」営みを支援する営為だと定義づけることにこそ、その実践的意義を見出すことができるのである。