著者
元森絵里子
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.90, pp.25-41, 2012-06-15 (Released:2013-06-17)
参考文献数
30

近年,行為と責任の主体としての「子ども」という問題系が浮上している。 しかし,これを,近代になって誕生した保護と教育の客体としての「子ども」という観念の揺らぎや「子ども期の消滅」と読み解くことは妥当だろうか。本稿は,明治以降の歴史にさかのぼって,教育を中心とする諸制度の連関の中で,「子ども」という制度がどう成立してきたか,少年司法ではどうであったかを整理し,「子ども」観の現代的な効果を考察する。 明治後半から大正後半にかけて,年少者を教育に囲い込み,こぼれ落ちた層に少年司法や児童福祉で対応していくという諸制度の連関が形成されていく。「子ども」は「大人」とは異なるものの自ら内省する主体とみなされ,そのような「子ども」を観察し導くのが教育とされ,尊重か統制か,保護か教育かといった議論が繰り返されるようになる。少年司法では,旧少年法以降,「大人」とは異なった,責任・処罰と保護・教育を両立させた「少年」の処遇が導入され,保護主義か責任主義かという議論が繰り返されるようになる。 近年,「子ども」をめぐる議論が高まっているにしても,少年法の改定は繰り返される議論の範囲内であるし,少年司法改革や教育改革は行われても,それ自体を解体する動きはない。したがって,社会の「子ども」への不安が,過剰な社会防衛意識につながったり,各現場の「大人」の息苦しさを帰結したりしない仕組みづくりこそが重要であろう。