著者
元濱 涼一郎
出版者
奈良大学総合研究所
雑誌
総合研究所所報 (ISSN:09192999)
巻号頁・発行日
no.17, pp.41-54, 2009

本稿は、近世の旧賎民が「特殊部落」として近代に再編され、それが現代の「被差別部落」となっているとの立場にたってこれを論じるものではない。それはそもそも、近代にあっても、なお賎民の系譜の連続性が特定の地域を担保して保持されたという虚構を前提としているというだけではなく、差別そのものの根拠を、系譜に求めるという意味で、近代以前の意識そのものを体現しているという点で、二重の矛盾を来たしていると言うべきであろう。近代において、「部落史」が「国民史」として記述されるに至っている現状への批判(畑中敏之、注①)は当然であると言わなくてはなるまい。従って、ここでは、いわゆる「被差別部落」とされる地域と、そこに居住する住民との関係を、人口統計を手掛かりとして見ていくこととしたい。その結果は、「部落」住民とその歴史的系譜について想定されている関係の根拠が、驚くほど薄弱なものであることを示すことになるであろう。以下、広く受容された観念と現実との対照が問題になるが、理論的含意としては、イメージと現実との関係の一具体例を検討することである。先ず、その前提として、近世における賎民層の存在形態を整理しておくことにする。
著者
元濱 涼一郎
出版者
奈良大学総合研究所
雑誌
総合研究所所報 (ISSN:09192999)
巻号頁・発行日
no.13, pp.75-82, 2005

本稿は、明治における、日本の国民国家形成を事例とする、著者の一連の研究1)に位置付けられるものである。ただし、上記は何れも、近世から近代への移行を、全体社会の解体と再編の過程と捉えて、その内部組織の解体と再編を分析と記述の機軸としていたが、本稿では、外部組織との関係でこれを概括・記述することを意図している。それには、国民国家内部の地域と空間に止まらず、対外的関係の下での国民国家の領域的境界(端的には「国境」)の確定に関わる諸契機、諸条件を問題にしなければならないであろう。そして、この目的に即して見るとき、近代国民国家の形成過程において、明治政府の重要な内政即外交課題であった琉球帰属問題の経緯を追うことは、はなはだ有効である。なぜなら、琉球は、近世にあっては、薩摩藩の属国でありながら、薩摩の財政を支えるために、独立王国の体裁を保って清王朝に朝貢(冊封)していた(両属すなわち日本と中国に二重帰属)という特異な歴史を有しており、その経緯に由来して日清間に国境紛争を生じたことから格好の素材を提供しているからである。