著者
入江 識元
出版者
富山大学
雑誌
高岡短期大学紀要 (ISSN:09157387)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.159-170, 2001

ヘンリー・ジェイムズの中編『ねじの回転』は視覚や聴覚が形成する認識と記憶の構造についてすばらしいモデリングを提供する。実際『ねじの回転』ほど主人公の認識のメカニズムが複雑な作品も珍しいし、これらは全て作家ジェイムズが仕組んだプロットであるが、こうした「語りの多重性」が語りの歪みと曖昧性を生み、幽霊の出現を読者に納得させる。この作品の視点について考察する場合、まず女家庭教師の視点の曖昧性に注目するだろう。伝統的なイギリスの教養を身につけた彼女にとって、上流階級の豪邸やそれを取り巻く美しい自然は、彼女の想像力を掻き立たせるに十分な素材であったし、理性的な教養人たる彼女は、その後次々に出現する幽霊を理性的な証明により合理化する。そしてこの物語の信憑性は全てこの女家庭教師のロマンス熱に浮かされた「眼差し」に委ねられている。彼女は相手の見せる表情から疑念を持ち、想像を増幅させるに至る。この作品はラカンやカント、ハイデガーなどが提示した強迫神経症や純粋理性や時間的存在といった哲学的問題とも絡めて論じることができる。この作品はそうした問題について解決の糸口を与えていることは間違いない。
著者
入江 識元
出版者
富山大学
雑誌
高岡短期大学紀要 (ISSN:09157387)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.59-69, 1996

作品の生産と金銭の浪費のなかでフィッツジェラルドが常に悩んでいたのは,外界の見せかけと自我の分裂の問題である。彼は,実人生では,消耗し崩壊する過程での分裂を繰り返しながら,作品では,自らを分節化しながら新たに生成してゆくという意味での分裂を描いた。この作品の冒頭にあるように,個と一般性の問題はこの作品の中心テーマであり,分裂の問題がこれに密接に関わってくる。彼は主人公アンソンを,一般的な金持ちの息子としてではなく,あくまでも個として提示した。この背景付け,人物をタイプ化することの不可能性があり,自我そのものの分公的性格がある。こうした性格に加え,家系という支配的歴史に由来する優越性を彼は獲得し,その反動でシニシズムを持つことになる。ポーラとの決別の原因の一つは,この優越性とシニシズムによるものであった。だが,重要なのはポーラの過ちだ。ポーラは写真(偽装された過去)や対話(偽装された現在)を通してアンソンをタイプ化しようとしたのだ。このように,個を問題にする際に重要なのは,家系や血縁といった権力装置の背後に隠れたアンソン自身の自我の分節化であって,その意味で作品冒頭の命題は生きてくるのだ。
著者
入江 識元
出版者
富山大学
雑誌
高岡短期大学紀要 (ISSN:09157387)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.39-49, 1998

作家が概念を導入する場合重要なのは,「概念人物」を用いるということである。ジェイムズはこの作品"The Liar"において「嘘」という純粋概念から「嘘つき」という概念人物を生み出した。語りの中心であるライアンの視点は,階級闘争における敗北と失恋からくるコンプレックスにより歪められており,このことはステイズ邸の食堂での会話から読みとることができる。また,そこでの匿名の女性との会話により,彼の描く肖像画が彼の観察眼以上に描写力に富むことが明らかになる。この作品には二つの肖像画が登場するが,いずれも彼の筆力からモデルの醜悪な面がはっきりと描かれているため,モデルによって抹殺されたと考えられる。ライアンは過去の恋人キャパドーズ夫人を信頼し彼女を大佐の嘘から覚醒させようとするが,匿名の女性が正しくも指摘する通り,この作品における一番の「嘘つき」は実は彼女なのだ。この作品の今ひとつ重要なポイントは,切り裂かれた,あるいは売られた肖像画の詳細をジェイムズが明らかにしていないということである。ジェイムズはこの策略により,この作品にもう一人の視点人物,キャパドーズ夫人を設定することに成功したのである。