著者
冨田 芳郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.39, no.8, pp.555-563, 1966-08-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
11

これまで天竜川はその中流の中部(なかっぺ)付近で豊川を截頭し,その後に天竜水系の大千瀬川が豊川の旧河谷の風隙からその空谷或は化石谷に沿って頭部侵食による分水移動を行って,現在池場の長さ500m内外,海抜321mの谷中分水で裁頭後の豊川本流の源流と対峙していると考えられている.しかしこの池場の谷の地形を見ると,豊川の截頭前の旧河谷とは考えられず,むしろ西南日本の地体構造における内帯と外帯との境界線をなす中央構造線に沿う断層谷とみるべきで,この戴頭による流路争奪の事実はこの地域の地形発達史の現段階では考えられない.すなわち,池場とその西側の上流河谷の幅は,谷中谷の上谷があるとしても,旧豊川本流河谷としては甚だ狭いし,池場の両側の谷壁は,所謂screesというべき崖錐斜面であり,谷底はU字形の盆谷 (Muldental) で,流路の跡と見るべき河床の地形ではない.また池場の谷底の堆積物は拳大栗実大の亜角礫と粘土質の軟かいmatrixから成り,土石流による無層理又は不整層理の崩れ易い堆積物から成り,裁頭前の豊川の中流性旧河床を立証するような河流堆積層は認められない.ただ池場の谷の東西両側の谷底にそれぞれ現在の小流による小段丘があるだけである.さらに池場の谷の断層は崖錐層の被覆で確認されないが,池場から松平に至る間の流紋岩や石英安山岩には鏡肌を示す節理面があって板状節理を示し,節理面の方向が屡々中央構造線の方向と一致するものがあることから,この構造線に沿う破砕帯と考えられる. 由来断層谷といっても,多くはそこには河が流れて,河蝕が行われるが,この点では池場の谷は純粋な断層谷といえよう.しかし規模が小さいが,ここからENEの天竜川支流の水窪川の西方にあって,明かに中央構造線に沿った断層谷と見るべきものが,18km内外の長さで,佐久間から水窪まで及んでいる.1部は水窪川の支流や天竜小支流の厚地川で削られているが,その谷間では,開析段丘面のような緩斜面は崖錐の堆積面である.またこの谷には河蝕による分水峠があるが,一連の断層谷と見るべきで,池場の谷はその一小部分としての地形はよく似ているので,池場の谷を断層谷と認定して,この谷は戯頭された豊川の旧河谷ではなく,流路争奪の事実を疑うのである.