- 著者
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出口 智之
- 出版者
- 東京大学
- 雑誌
- 特別研究員奨励費
- 巻号頁・発行日
- 2007
まず、「幸田露伴の歴史小説-「風流魔」の構想と成立に即して-」(『日本近代文学』平成20年5月)において、形式上の破綻を抱えている幸田露伴「風流魔」(明治31年)の成立過程を追跡し、露伴が本作で行った試行錯誤が、古人を題材に勝手な想像を展開すべきでないという自己規範に起因することを指摘した。次に、「幸田露伴「椀久物語」論」(『東京大学国文学論集』平成20年5月)で幸田露伴の「椀久物語」(明治32〜33年)を取上げ、上に指摘した露伴の歴史小説の方法的問題が本作にも見出せることを確認した。さらに、この作品のプロットが樋口一葉「うもれ木」(明治25年)の翻案であることを指摘し、孤立した作家と見られがちな露伴が、同時代文学と浅がらぬつながりを持っていたことを明らかにした。また、鴎外研究会(平成20年12月26日)において発表した「露伴史伝の特徴と方法について-「頼朝」を中心に-」では、これまで古典研究の成果とされてきた露伴の史伝「頼朝」(明治41年)に用いられた資料を特定し、本作が学術性を備えないフィクションであることを明らかにした。また、この作品の随筆に近い様式に、小説形式を捨てた露伴が新しく開拓した文学の可能性を見出した。さらに、「生活人露伴の誕生-幸田文「終焉」の方法を中心に-」(『相模国文』平成21年3月)では、露伴の死後に娘である幸田文が「終焉」(昭和22年)を初めとする一連の作品を発表するにおよび、日常生活に「格物致知」の精神を発揮したという露伴像が生れたことを指摘した。これは、彼女が露伴の日常生活を題材とし、しかも尊敬すべき父と不詳の子という構図を用いることで、父の偉大さを効果的に演出してみせたことに由来する。この研究により、これまで無批判に受入れられていた「生活人」としての露伴像を相対化し、露伴の<知>のありかたについて客観的に捉えなおすことが可能になった。