著者
加来 耕三
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.219, pp.122-125, 2002-12

なぜなら、この大橋屋長左衛門—正確には兄・助九郎の手伝い—が徳川幕藩体制の基盤=士・農・工・商を瓦解させ、"商人あきんど"による武士への優越=下剋上の口火を切った人物であったからだ。 ときに元和二年(一六一六)、大坂夏の陣が終わった翌年にあたる。「—そんな話は聞いたことがない」 読者の中に、首をひねられる方もいるだろう。当然である。
著者
加来 耕三
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.217, pp.114-117, 2002-10

地理的には、日本のほぼ中央に位置しているとはいえ、「岐阜」は今日にいたってもなお、座りの悪い県であるに違いない。 近代の明治にいたるまで、一方に山国として独立していた「飛騨」、他方に木曽川・揖斐いび川・長良川などの水系が網の目のように広がる「美濃」—この二国をむりやり併合して、成り立った印象が強いからだ。 "飛山濃水" などと呼ばれてきた。
著者
加来 耕三
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.194, pp.138-141, 2000-11

十二世紀初頭ごろから、房総半島を開発し、勢力を築いてきた千葉氏は、源氏の旗上げにおいて主力軍を形成し、平家を西へ追い、ときの当主・千葉常胤(つねたね)は、源頼朝にむかって、 「要害の地、相模国(神奈川県の一部)鎌倉をこそ、拠点とすべし」 と進言したことで知られている。 関東の地に武をもって覇を唱えた一族であったが、やがてその巨大さゆえに周囲に恐れら…
著者
加来 耕三
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.199, pp.98-101, 2001-04

「今日の大風で土ほこりが立ちて人の目の中へ入れば、世間にめくらが大ぶん出来る。そこで三味線がよふうれる。そうすると猫の皮がたんといるによって、世界中の猫が大分(だいぶん)へる。そふなれば鼠があばれ出すによって、おのづから箱の類をかぶりおる。
著者
加来 耕三
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.231, pp.122-125, 2003-12

中上川(彦次郎)さんはじめ、益田(孝)さん、團だん(琢磨)さん、池田(成彬)さん、向井(忠晴)さん。あるいは中上川さんの前に活躍した三野村利左衛門さんと三井を主宰された方は、それぞれいろいろな業績を残されていますが、なんといっても中上川さんが一番でしょう。それをわずか十年間でやられたんだからたいへんな人だったんですね。
著者
加来 耕三
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.238, pp.118-121, 2004-07

それほどえらそうなことじゃないがね。「無事是貴人(ぶじ、これ、きにん)」ってのは好きな言葉ですね。「楽哉無一事(たのしきかな一事なし)」というのも同じ意味です。心にわだかまる何事もない。そういうのがたっとい人だ、そういうのが楽しいっていうことだろうね。禅宗の言葉でね。うん、あとで書いてあげよう。 ぼくはね、なんにもできないんですよ。
著者
加来 耕三
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.189, pp.82-85, 2000-06

一見いっけん、不釣合な長崎県の佐世保市にも、佐世保商人はいた。が、彼らは唐突に出現している。 むろん、それ以前から佐世保の地はあったものの、この漢音の地名は「差布さしほ」、「佐志方さしほ」などとも表記されており、かならずしもさせぼではなかった。 おそらく、中世社会においてさせぼの一族は、全国どこにでもある名もなき土豪の一派であったに違いない。
著者
加来 耕三
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.196, pp.98-101, 2001-01

これは間違いではない。が、江戸も幕末に近づくにつれ、幕府の警戒心も徐々に薄れ、十一代将軍・徳川家斉(いえなり)などは、薩摩藩主・島津重豪(しげひで)の女むすめをその正室に迎えている。 重豪の正室が御三卿(ごさんきょう)の一いつ、一橋宗尹(むねただ)の娘であったこともあり、この藩主は世上(せじょう)、「高輪下馬将軍(げばしょうぐん)」 と呼ばれた。