著者
北原 和子
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.123-136, 2012-06-30

名古屋市の保育園が乳児保育・長時間保育を制度化するにあたって、どのような保育運動が行われたのかを、名古屋の女性運動や地域住民をまきこんだ市民運動の視点を交えて考察した。1955(昭和30)年、日雇い労働の母親たちが立ち上げた簡易保育所に始まり、国鉄、郵政、法務局に勤務する女性労働者達が職場内保育所を作った。1959(昭和34)年、伊勢湾台風後に始められたヤジエセツルメント保育所の活動が、名古屋市における保育運動の始まりであった。働き続けたい母親労働者と研究者,女性運動家達が共同保育所を設立すると、保育運動を継続させるために愛知保育所づくり連絡会が発足した。さらに団地に住む母親労働者達が保育所設立のための市民運動を行った。市民をまきこんだ保育所建設の要求が名古屋市を動かし、生後6ヵ月からの乳児保育、8時から18時までの長時間保育を実現させた。