著者
原口 耕一郎
出版者
名古屋市立大学大学院人間文化研究科
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.15, pp.232-204, 2011-06

『古事記』『日本書紀』においては、かなり古い時代の記事から隼人は登場する。この隼人関係記事の信憑性をめぐって、大きく二つの議論がある。一つは天武朝以降の記事からならば、それなりに信を置くことができるとする理解であり、これは現在の通説になっているといえよう。もう一つは、天武朝より前の時期の記事にも史実性を認めようとする理解である。小論は、これまでの隼人研究史を回顧し、隼人概念の明確化をはかり、『記・紀』に史料批判を加え、天武朝より前の隼人関係記事については、ストレートには信を置きがたいことを論じようとするものである。つまり、可能な限り通説の擁護を目指すことが小論の目的である。まず、文献上にあらわれる隼人像を整理し、隼人概念の明確化を行う。次に考古資料と隼人概念との対比を、最近の考古学研究者の見解を踏まえながら行う。さらに畿内隼人の成立について触れる。その結果、『記・紀』編纂時における政治的状況、すなわち日本型中華思想の高まりの中で、政治的に創出された存在としての隼人の姿が明らかにされるであろう。このような、現在の隼人理解において中核的なテーゼをなす、「隼人とは政治的概念である」という主張を確認したうえで、天武朝より前の隼人関係記事は漢籍や中国思想により潤色/造作を受けていることを明らかにする。
著者
山田 明
出版者
名古屋市立大学大学院人間文化研究科
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.14, pp.55-62, 2011-02

政権交代後の焦点の一つが「地域主権改革」である。名古屋市においても河村市長のもとで本格的な「市政改革」が実施され、全国的にも注目を集めている。本稿は名古屋市政の展開を総合計画を軸に振り返り、「市政改革」の現状と問題点をさぐり、名古屋市政研究の意義と課題を明らかにするものである。市民税減税をめぐって攻防が続いているが、名古屋市政研究のなかでも税財政研究の検討課題を提起していきたい。
著者
日沖 敦子
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.10, pp.338-332, 2008-12

国立歴史民俗博物館蔵『久修園院縁起』(写本一冊)、および、福岡県八女郡大光寺蔵『飛形山大光寺縁起』(写本一冊)の二種の寺社縁起を翻刻紹介する。いずれも、藤原山蔭関連の寺社縁起である。藤原山蔭の説話・伝承を踏まえ、本尊の由来を説いた寺社縁起は複数確認でき、未紹介のものも少なからず存在する。近世前期には縁起絵巻も制作されており、本誌第四号では、大阪府茨木市常称寺が所蔵する『総持寺縁起絵巻』を紹介した。また、第七号では、天理大学附属天理図書館が所蔵する『新長谷寺縁起』を紹介した。今回紹介する、『久修園院縁起』は、かつて星田公一氏により紹介されたもの(『久修園院所蔵本カ)であるが、国立歴史博物館蔵本とは、若干字句に異同があり、『飛形山大光寺縁起』と併せて翻刻することにした。『飛形山大光寺縁起』は近世中期のものであるが、未紹介の寺社縁起である。内容の詳細については、後稿に記したい。
著者
谷口 幸代
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.10, pp.354-340, 2008-12

大正七年自費出版の『愛の詩集』、『抒情小曲集』が認められ、室生犀星は詩壇に登場した。そして長い放浪生活から抜け出て、東京に居を構える。新進詩人はその翌年に「中央公論」に投稿した『幼年時代』など三作が認められ、一躍、文壇に登場した。以後、詩、俳句、短歌、小説、随筆、童話と、多岐にわたる足跡を残すことになる。その犀星の十五冊の日記は現在、新潮社版の全集別巻一、二に収められている。日記には原稿料や印税がそのつど丹念に書き込まれており、昭和時代の一部には原稿料を受取るまでの経過や交渉の事情まで書き留めているものもある。この原稿料授受の記録を注解しながら、筆一本の売文生活の実態と文士気質を明らかにすることが、小稿の目的である。犀星が文壇に登場した大正時代は、新聞の発行部数が飛躍的に増え、雑誌界では各種の女性誌が次々に創刊され、原稿料が飛躍的に上がった時である。総合雑誌の「中央公論」と「改造」というライバル雑誌での犀星の評価は原稿料ではかることができるほどである。昭和時代は円本ブームで始まり、戦時中に戦費調達のため源泉徴収制度が施行され、昭和二十年代は、敗戦直後の物資不足と激しいインフレによる原稿料の急騰、新円発行の金融緊急措置令による不況のため、支払の遅延や未払いの様が書き込まれている。昭和三十年代の週刊誌ブームの頃、創刊間もない「週刊新潮」の目玉だった谷崎潤一郎『鴨東綺譚』がモデル問題で中絶したとき、ピンチヒッターとして立ったのが犀星だった。円地文子は「原稿を書くことは文学者の生命なのだから、それによつて得る報酬もなおざりに考えてはいけないというお考えだつた」と回想する。
著者
成田 徹男
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.11, pp.145-154, 2009-06

本稿では、明治期以降の日本語資料において、カタカナの占める位置は、どのようなものか、ということをみるために、手始めとして夏目漱石の『坊ちゃん』を対象とし、漱石が、『坊ちゃん』という作品の表現手段のひとつとして、カタカナをどうつかったか、あるいはどうつかおうとしたかを考える。全体の構成は次のようである。「0.はじめに 1.『坊ちゃん』のカタカナ表記語 2.語種と、表記の字種との関係1-外来語の、表記の字種(以上前稿「その1」)」以下、3.語種と、表記の字種との関係2-和語の、表記の字種4.「笑い」について5.漱石の表記態度6.おわりにが、本稿「その2」の対象部分である。「3.語種と、表記の字種との関係2-和語の、表記の字種」では、和語として分類したカタカナ表記語のうち、「生き物:バッタ、ゴルキ、イナゴ、モモンガー(4語)」について、カタカナ表記されている理由を、読みやすい漢字表記がないこと、などと推測した。また、擬態語や和語の畳語は原則としてカタカナ表記されないこと、擬音語にもひらがな表記の例が多いことを指摘し、笑い声を除く擬音語について、カタカナ表記されている理由を、高い鋭い音が意識されているためではないかと考えた。「4.「笑い」について」では、「アハハハ」は山嵐、「エヘヘヘ」は野だいこ、「ホホホホ」は赤シャツというように、笑い声の特定のカタカナ表記が、主要な登場人物につかわれ、その人物の性格描写と関連していることを指摘した。「5.漱石の表記態度」では、語種を基準とした機械的な文字のつかいわけはしていない、という点と、和語のカタカナ表記は、かなり意図的なものである可能性が高い、という点を指摘した。漱石の表記態度には、現代の日本語話者の表記態度に通じるものがある、と考えられる。
著者
楢崎 洋一郎
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.9, pp.53-67, 2008-06

生徒の教育記録の開示に関する従来の議論では、教育の理論と実践に根ざす議論があまりなされないまま、個人情報保護条例に基づく全部開示の流れが強まった。しかし、学校・教員が児童生徒に適切な指導や公正な入試を行いたいならば、事実や評価を正確かつ適切に記載するとともに、知らせるべきでない評価は不開示にすべきである。そこで、裁判例を素材に、評価の性質を教育学の観点から捉え直した上で、文書、項目および記載内容の不開示事由該当性を検討した。第一に、指導要録は、児童生徒の発達段階や在学関係、文書や評価の性質を検討した。請求者が在学児童生徒の場合、(1)事実および知らされている評価については開示、(2)学習評価のうち、目標準拠評価は開示、個j人内評価は教員の説明を補って開示、絶対評価と相対評価は不開示、(3)人物評価のうち、個人内評価は教員の説明を補って開示、絶対評価は不開示とすべきである。請求者が卒業生の場合は、(1)事実、(2)学習評価については不開示事由に該当しないが、(3)人物評価のうち、絶対評価は教員の説明を補って開示、個人内評価は開示とすべきである。請求者が保護者の場合は、すべての記載について教員の説明を補って開示とすべきである。第二に、調査書は、開示制度の有無と開示の時期を検討した。(1)事実および知らされている評価については開示、(2)知らされていない評価は、合否発表前ならば不開示、合否発表後ならば開示とすべきである。
著者
小島 俊樹
出版者
名古屋市立大学大学院人間文化研究科
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.14, pp.177-190, 2011-02

名古屋市立高校における学校納入金の未納者数は、09年度6月において前年度の5倍以上となった。この原因は不景気を背景として、高校生の世帯に貧困層が拡大しているためと推測した。子どもの貧困率として相対的貧困率がよく採用されるが、これでは高校生のように養育費がかかる年齢には低すぎる基準と思われる。むしろ、自治体が用いる基準である、給与所得控除を足し夫婦2人世帯で年収450万円(2005年)が妥当な基準と考える。これを基準とすると、高校生世帯の約30%が貧困層であると推定される。授業料減免者数の生徒総数に対する割合の推移(1996年~2006年)をみると、11年間で約3倍になっており、貧困層の拡大が急激にすすんでいる。名古屋市立の全高校を対象にした調査から、授業料減免者を普通科・職業科・定時制で分けてみると、職業科・定時制に集中していることが明らかになった。さらに、授業料減免の対象者が市民税非課税で、ほぼ相対的貧困基準に相当するため、そこから高校生世帯の貧困基準に基づき推定してみると、職業科・定時制生徒の世帯の半数前後が貧困層に該当すると考えられる。最後に、学校納入金未納者の担任への調査を通じて、高校生の貧困世帯は、今回の不景気により親の失業などで新たに貧困層へ加わる世帯と、すでに貧困世帯であったがリストラや賃下げなど今回の不景気のしわ寄せで更に貧困となった世帯、これらの2類型があると思われる。
著者
石川 洋明
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.5, pp.37-49, 2006-06

男性の「男らしさ」について、調査データ(N=218、非無作為抽出、回答者は男女双方)の二次分析により検討した。多変量解析の結果、「男らしさ」は、行動様式で6つ、意識でも6つ、配偶者とのコミュニケーションで3つの成分が抽出された。成分得点の回答者属性による差から、50代既婚男性が性暴力問題に最も懐疑的で家庭外達成志向が強く、20代男性が最も感情表現や子のケアに積極的であることがわかった。また、男性の回答から、「男らしくない」と言われるのは、配偶者への期待が低く、仕事を断れる人、「男らしくありたい」と思う人は、近所づきあいがよく、仕事を断ることができず、男は経済力・忍耐が必要で家事には向かないと思っている人であることがわかった。総じて、ワークライフバランスのうちではワークに特化することが男らしさである、と考えられていることが確認された。ただし、40代と既婚者に、それにとどまらない傾向も見られた。
著者
森 哲彦
出版者
名古屋市立大学大学院人間文化研究科
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.18, pp.167-192, 2012-12

ヨーロッパ哲学は、古代ギリシアに始まる。古代ギリシア哲学の3つの時期区分のうち、ホワトヘッドは「プラトン的」立場から、プラトンを含む第二期に注目し、第一期のソクラテス以前哲学者達を顧慮しない。これに対し、第一期ソクラテス以前哲学者達を高く評価する哲学者達が、数名挙げられる。本論では、西洋哲学の起源は、その哲学者達が指摘するように、第一期ソクラテス以前哲学者達に有ると考え、それらの第一期哲学者達の解明を、試みるものである。なお本論では、副題で示すように、ディールス-クランツ『断片』とカント批判哲学の論述を用いるものとする。本論文の構成について、哲学の兆候を示す哲学以前、前期自然哲学で自然の原理を問うミレトス学派、また別個にピュタゴラス学派、ヘラクレイトスを取り上げる。更に存在と静止のエレア学派、後期自然哲学の多元論と原子論、そして認識論のソフィスト思潮の特質をそれぞれ論述する。この試論は、「哲学的自己省察」の一つである。
著者
福島 利奈子
出版者
名古屋市立大学大学院人間文化研究科
雑誌
名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.14, pp.161-175, 2011-02

現代ではあまり馴染みのないコルセットだが、昔の女性たちには欠かすことのできないものだった。コルセットの歴史は長く、中世以降、衣服における男女差が確立し、女性の身体の曲線美をコルセットの使用によって表現するようになった。一時は鳴りを潜めていたコルセットだが、その後復活し、女性には「女らしさ」が求められ、長く着用されていくことになる。女性は社会的に抑圧された存在であり、女性たちが求められた女らしさは、男性の視線によって理想化されたものであった。そして、人々が装うのは、身体を保護するというためだけではなく、社会的な属性や地位等の表現手段ともなっていた。その後、次第に女性の衣服改革が起こるようになる。女性のライフスタイルの変化が理想の女性像まで変え、自然で直線的な身体の表現へと移行した。第一次世界大戦を境に、より女性の社会進出は進み、仕事に適さないコルセットや丈の長い衣服は消えていく。その過程を、コルセットの追放に貢献したとされるアメリア・ブルーマー、ポール・ポワレ、ガブリエル・シャネルの三人に焦点を当てて検討する。以上の問題を踏まえて、近代から現代にいたるまで長きに亘って女性が身につけてきたコルセットとはどのようなものであったのか、そしてそのコルセット着用の要因と、それほどまでに広く普及していたコルセットを女性たちがどのように脱ぎ捨ててきたのかを考察する。