著者
内田 仁 北山 正雄
出版者
公益社団法人 日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.64, no.5, pp.447-450, 2001-03-30 (Released:2011-07-19)
参考文献数
11

本研究は二條城清流園の成立過程及びその経緯更に地割・植栽の経年変化について考察した。京都市はかねてより城に不釣合いな市民のレクリエーション施設であるテニスコートを撤去し, 国賓・公賓を迎える迎賓施設として, また市民や観光客にも利用できるような新庭園の作庭を検討していた。そのような折テニスコート代替地決定と旧角倉了以邸の敷地内の建物などの無償譲渡の確約が得られたことを機に, 京都市職員が直営で10ケ月の歳月を費やし昭和40年4月清流園を完成させた。清流園は作庭から35年以上経過している現在でも地割・植栽ともほとんど変化なく維持され, 鑑賞要素の一つにとどまらず迎賓・集会的な役割を果たすこととなった。