- 著者
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平井 松午
古田 昇
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
- 巻号頁・発行日
- pp.103, 2010 (Released:2010-06-10)
1.はじめに
四国・吉野川では,河口から約40kmに位置する岩津下流の堤防整備率は98%に達しているが,岩津~池田間の中流域における整備率は約63%である。そのため,今でも約18kmが無堤区間であり,水害防備林としての竹林景観が卓越している。本報告では,すでに堤防整備がなされた美馬市穴吹町舞中島地区を事例に,築堤以前と以後とにおける竹林景観の変化を報告するとともに,今後計画されている築堤区間における竹林景観保全のあり方について検討するものである。
2.築堤以前の洪水被害
舞中島地区は,吉野川第一期改修工事(1911~27年)によって全戸立ち退きとなった善入寺島に次ぐ大規模な川中島で,1961年当時の竹林を含む地区面積は約175haであった。吉野川の洪水を受けやすいことから,竹林・樹木で地区全体を囲繞し,吉野川本流の上流側には掻き寄せ堤を設けて,外水氾濫に備えてきた(図1)。
低平な舞中島の標高は約39~45mで上流(西)側に高く,上流側から4列ほどの微高地が下流側に向けて樹枝状に延び,高石垣を持つ古い家屋はこうした微高地上に分布する(図2)。洪水時には,吉野川本流や派流の明連川から外水が掻き寄せ堤を越流するとともに,下流側の明連川河口側からも洪水流が逆流し,標高の低い地区内の北東部が湛水地帯となった。
洪水時には大きな被害を受ける舞中島ではあったが,周囲の竹林・樹木が緩衝帯となって,島内に激流が押し寄せることはなかった。また,家屋には高石垣を施し,家屋の上流側にはクヌギ・ケヤキなどの樹木を植えて流下物(巨礫・樹木・木材など)から家屋を守るとともに,下流側にも樹木列を配して家財が流されるのを防いできた。
3.築堤後の景観変化
舞中島の築堤工事が開始されたのは1968(昭和43)年度で,1977年度には完成し,以後,同地区では内水被害はみられるものの(図2),従来のような外水氾濫の被害を受けることはなくなった。
築堤時には,一部の家屋・農地が河川敷となったものの,堤防が竹林南側に敷設されたことから,吉野川沿いの竹林景観の多くは維持されることになった(ただし,一部は牧草地やグランドに転用されている)。これは,河川敷となった竹林部分が国有地となったためでもある。しかしながら,1)築堤により洪水被害を受けなくなったことから,民有地であった明連川沿いの竹林は別用途に転用され,一部を残して著しく減少した(図3)。また,2)外水被害がなくなったことから,舞中島では住宅建設が進んだが,一部の新住民は標高の低い湛水地帯に住宅を建設したため,かえって内水被害を受けることになった。
付記
本報告は,平成21年度河川環境管理財団河川整備基金助成事業「吉野川流域の竹林景観の形成と保全に関するGIS分析」(研究代表者:平井)の成果の一部である。また,使用した航空写真や標高データについては,国土交通省徳島河川国道事務所から提供いただいた。