著者
国府田 諭
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.163, 2010 (Released:2010-06-10)

日本版PTALの概要,目的,手法 PTAL(Public Transport Accessibility Level)は,ある地点や地域における公共交通の利用しやすさを定量的に評価する指標算出の手法である.2000年に英国の大ロンドン市が発足し,その交通局(Transport for London)で開発され都市計画規制で実際に用いられている.2008年に策定された大ロンドン市の現行マスタープランは「PTALメソッドは公共交通アクセシビリティを評価するための一貫した枠組みを提供する」と位置づけている. この手法の眼目は,(1)公共交通の利用しやすさに関わる様々な要素の中から<交通機関への距離>と<運行本数>を選び,(2)一貫性と透明性のある計算過程を経て,(3)政策立案や行政運営にも使える数値を算出することにある.日本での試みはまだない.(3)は尚早としても(1)(2)を備えた社会指標があれば諸研究に資するであろう.これが本研究の動機である. 今回は,上記(1)と同様,交通機関への距離と運行本数を軸として,ある地点や地域での公共交通の利用しやすさを5 段階に分けて評価した.例えば600m以内に鉄道駅(1日の運行本数150本以上)があれば最も利用しやすさの高い「5」となる.逆に600m以内に鉄道駅がなく,かつ300m以内にバス停がなければ最も低い「1」となる. 交通機関データは2009年9月時点である. 算出されたPTAL区分に,国勢調査の町丁別人口(2005年)と国土数値情報の土地利用細分メッシュ(2006年)を組み合わせて全国市区町村における「PTAL別の居住人口割合」を算出した.データの年次が異なるため,町丁別人口分布と土地利用が各調査年以降変化していないと仮定した.算出にあたり,PostGIS によるパソコン上のGIS を構築した. 算出結果の分析と今後の課題 分析の第一として,札幌市と広島市それぞれの政令区別PTALを見る.両市とも人口1千万人を超え,高密な業務集中地区をもつと同時に郊外部や丘陵・山間部があり,中心部に路面電車が運行されている.札幌市の結果を見ると,路面電車が走る中央区が最も良好でPTAL4および5の地域への居住人口割合が64%,PTAL2および3を加えると83%である.路面電車のない区でも概ね高PTAL 地域への居住が一定見られる. 一方広島市は,中心部(中区)は札幌市中央区と同様であるが全体として高PTAL地域への居住が札幌市ほど進んでいない.しかし中程度の地域を含めると札幌市より良好な区もある.両市における都市計画上の経緯,地理条件,地下鉄の有無などの違いが影響していると考えられる.今後は区だけでなく交通機関沿線別などで集計し,両市を含む諸都市間の詳しい分析を行ないたい. 分析の第二として,首都圏と地方都市圏それぞれ人口30万人以上の都市を対象に,横軸に高PTAL地域への居住割合を,縦軸に低PTALへの居住割合をとってプロットした(政令指定都市を除く).圏域間で顕著な差があるが圏域内での差も大きい.特に首都圏では高PTAL地域への居住割合に相当な幅がある.一つの原因として,運行本数の多い鉄道駅はあるがスプロール化によって駅から離れた居住が進んだ都市がかなりあるためと思われる.今回は一時点での算出だが,今後は経年的な算出を行なうことによりスプロール化など都市構造の変化と交通機関の変化が与える影響を可視化・定量化したい.
著者
石 錚
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.68, 2010 (Released:2010-06-10)

I_.研究目的 本稿では在日の外資系企業における立地実態を把握し、日本に進出している外資系企業による立地選択の要因を取り上げて分析を行う。「ダイヤモンド・モデル」理論をベースとした各競争の要素をそれぞれに計量化をして、階層クラスター分析した結果から、日本における外資系企業の集積地の形成と各要素の因果関係及び立地選択の鍵を考察していきたい。統計分析では、立地に関するハードの条件(インフラ整備)のほか、ソフト(生活・ビジネスネットワークやリンケージの構築)の条件に着目し、地域ネットワークの構造的特徴による集積地の形成及び外資系企業の立地要因の関係を検証し、投資者の立地選択に対する意思決定の主なポイントを探ってみる。すなわち、産業立地に関する要因の分析を従来的な貿易・経済的立地論から、グローバルな競争戦略や人的ネットワーク・リンケージ構築による新たな経営の側面から考察する。そして、集積地の特性をさらに明確にするため、著者はレーダー・チャ-トを用いて、同じ集積地のなかに存在している各都道府県に対してもそれぞれの立地傾向を比較し、明らかにする。 II. 仮 説 筆者は、外資系企業について、以下の3つの仮説を立てる。 1)日本における外資系企業は、3つ以上の集積地を形成する。 2)一極集中となった東京はもちろん、ほかの地域でも、地方の中心都市を巡って、集積地は形成し始める。 3)外資系企業は立地選択をする時、ハードインフラの整備だけではなく、ソフトインフラ(ネットワーク、リンケージなど)も整備されていることを重視する。 III. 研究手法 これらの仮設を調べていくために、M.ポーターのクラスター概念(ダイヤモンド・モデル)を導入した。ダイヤモンド・モデルでは、分析項目を企業リンケージ・ネットワークの視点から、在日の外資系企業の立地の競争優位を 1)立地の要素条件 2)需要条件 3)関連・支援産業の分布 4)企業間の競争環境という4つの要因に分ける。また、著者は外国人の生活面の充実も1つの要因として考えているため、さらに 5)生活条件という要素も加えて分析する。統計ソフトSPSS(version11.5J)を用い、各要因を階層クラスター分析分類したほか、エクセルのレーダー・チャートグラフも使い、集積地を構成した各都市の立地要素に対する比較も行った。 *主なデータソース: (1)東洋経済新報社編の『外資系企業総覧』2004、2007年 (2)日本貿易振興機構(ジェトロ) (3)総務省統計局 (4)法務省入国管理局 (5)経済産業省 『外資系企業動向調査』2006年 (6)外務省駐日外国公館 (7)株式会社ウェバーズ *分析対象としたのは全て11変量で、各要素における変数の選択は以下のように行った。 1)要素条件として、大学及び大学院生の数を考慮に入れた。(2変数) 2)需要条件は、地域の対外貿易度(港の輸入出額)、日系企業(会社)の数、及び日系企業に勤める従業員の数を参考にした。(3変数) 3)支援関連産業は、ジェトロオフィス(IBSC)、各都道府県の地域支援センター、及び外国公館の立地場所を参考にした。(3変数) 4)競争要素についてのデータは、日系企業と外資系企業の数両方を使用した。(2変数) 日本とアメリカのマーケット環境が異なるため、日米間の競争環境の相違も考慮した。 5)生活条件で参考にしたデータは、外国人の人数と外国語に対応できる医療機関の数である。(2変数) IV. 結 論 階層クラスター分析により、以下の結果が得られた。 1)ダイヤモンド・モデルの各要素を分析条件にして、(1)首都圏集積地(2)関東集積地(3)関西集積地(4)九州集積地 という4つの集積地が現れた。 2)第二集積地を構成する神奈川、愛知、大阪は、それぞれ関東、中部、関西の中心都市となる。第三集積地に含まれている都市は、これらの中心都市の周りに、第三集積地を形成し始めることが分かった。 3)生活条件やソフトインフラの重要性についても検証できた。たとえば、埼玉県は、第一から第三集積地の中、唯一の海岸線を持っていない県で、いわゆるハードインフラの優位性は弱いが、第三集積地に入っている原因は、グローバルシティとなる東京と隣接しているため、既に東京に進出している企業とのリンケージの構築が立地選択には有利となっていることが推定できる。
著者
相馬 秀廣 田 然
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.201, 2010 (Released:2010-06-10)

1.はじめに 従来,遺跡研究は考古学,文献史学,建築史,美術史ほかの分野が中心で,地理学分野が貢献できる範囲はかなり限定的であった.しかし,Corona,IKONOS,QuickBird(以下,QB)などの高解像度衛星写真・衛星画像(以下,高解像度衛星画像)の普及は,それらのデジタル化とともに,遺跡研究における地理学分野の有効性・重要性を高めることとなり,とりわけ,樹木が乏しい乾燥・半乾燥地域では顕著である(SOHMA,2004,相馬ほか,2007,白石ほか2009,ほか). その背景には,1)地理学では,空中写真判読などによる,対象地域の上空からの空間的解析が基礎的研究法として定着,2)考古学では,環境考古学(Geo-Archeology)を含めて,遺跡から様々な情報を抽出するものの,視点はほぼ地表付近に限定され,調査対象地を遺跡周辺へ拡大して立地条件などの詳細な検討は,一部を除くとあまり実施されていない,3) 文書(木簡などを含めた文字資料)は,遺跡自身あるいはその歴史的背景などについて重要な情報を提供する場合はあるものの,それら単独ではなかなか利用しにくいのが実情,などが挙げられる. また,デジタル化された高解像度衛星画像は1シーンで少なくとも数km程度の範囲をカバーしており,小縮尺スケール(数km以上)からズームアップすることで大縮尺スケール(数m程度)までの範囲の対象に対応が可能である.1枚あるいは一組の空中写真は,撮影スケールにもよるが,検討可能な範囲が衛星画像などに比べて限定的である.加えて,研究対象地域が海外の場合には,入手自体に障害が大きい場合が多い. そこで,遺跡調査に際して,高解像度衛星画像(写真)判読を基礎として,考古学・文献史学の情報と連携した,地理学的研究法,すなわち,衛星考古地理学の有効性が浮上する. 以下,いずれも乾燥地域に分布する,中国のタリム盆地楼蘭,内モンゴル西部黒河下流域,モンゴル中部の遺跡を取り上げ,衛星考古地理学の有効性について検討する. 2-1.黒河下流域,前漢代居延屯田におけるBj2008囲郭 年降水量50mm以下の黒河下流域には,前漢代,居延屯田が設置された.QB画像(地上解像度約60cm)の判読により従来 未報告のBj2008囲郭の存在が確認され,現地調査により前漢代の囲郭であることが判明し(相馬ほか,2009),さらに,既知 の2つの囲郭および3つの候官などの主要な施設の空間的配置,農地と主要な放牧地の土地利用と土地条件の関係などを検討した結果,当地域の屯田開発が計画的に実施されたことが明らかとなった(相馬ほか2010,SOHMA et al, 2010).それらは,当地域の屯田開発に関わる従来の解釈を大きく変更させるものとなった. 2-2.楼蘭地区の漢代伊循城とLE遺跡 超乾燥地域である楼蘭地区には,文書によれば,BC77年(あるいは同65年)に伊循城が建設されたがその位置は,未だ確定していない.楼蘭地区では,LE遺跡は,Coronaの判読により LA,LK,LLなど囲郭とはヤルダンを形成した卓越風の風向との関係が異なること(SOHMA, 2004),また,その城壁は漢代の敦煌付近の長城壁と同じ建築法による(Stein,1907)ことなどが判明している.QB画像の判読により,LE囲郭のサイズが前漢代の居延屯田の主要3囲郭とほぼ同じで,卓越風の風向との関係も同様であることが判明した.さらに,QB画像では,LE囲郭の付近に,周囲のヤルダンよりも明らかに比高が小さく,耕地跡の可能性が高い方形の土地パターンが存在している.以上のことは,LE遺跡は上記の伊循城である可能性が極めて高いことを示している. 2-3.モンゴル中部,フンフレー遺跡群 ウブルハンガイ県フンフレー遺跡群は,ベガ・ボグド山地北東麓にあり,モンゴル帝国初期の首都カラコラムと南の黒河下流域のエチナをつなぐ南北縦断路と,を通るモンゴル高原の東西交通路の交点に位置する.同遺跡群は,豊富な湧水を利用した農耕地域であり,カラコラムへ食糧の供給地であることが判明した(白石ほか,2009). 本研究は,平成21年度科学研究費補助金基盤研究(A)(2)(海外)(19251009)「高解像度衛星データによる古灌漑水路・耕地跡の復元とその系譜の類型化」(代表:相馬秀廣),同(A)(18202024)「モンゴル帝国興亡史の解明を目指した環境考古学的研究」(代表:白石典之)による研究成果の一部である.
著者
池田 敦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.122, 2010 (Released:2010-06-10)

本稿では岩石氷河の起源について,混乱しがちな議論を整理し,その形成モデルおよびその地形が示唆する環境について考察する. 現在の基本認識 岩石氷河は寒冷環境下の傾斜地に発達する角礫層に覆われた舌状地形であり,その長さは数十mから数km,厚さは数十mである.その舌状形態と,ときに表面に発達する皺状の微地形が,粘着性をもった流動による地形形成を暗示する.実際に多くの岩石氷河で年間数cm~数mの地表面流速が観測され,その流速は岩石氷河内の氷の変形によることが確実視されている. しかし岩石氷河の形成モデルを巡っては大きな見解の対立がある.一つは,氷河上ティルが非常に厚くなり消耗が極端に抑制された結果,涵養域/消耗域比がごく小さくとも質量収支が成り立つ氷河(もしくはその遺物)と岩石氷河を捉える氷河説であり,もう一つは,永久凍土環境下において崖錐や氷河堆積物内で凍った水と落石等に被覆された残雪に起源をもつ集塊氷の変形によって形成されるという永久凍土説である. 研究の進展の結果,完新世に氷河と隣接した形跡がない岩石氷河(図中D)については永久凍土説が広く適用されているが,上流側に氷河(あるいは完新世のモレーン)を有する岩石氷河については,いまだ研究者間でその成因についての認識が大きく異なっている. 議論が混乱している理由 岩石氷河内の氷体が氷河に由来することと,岩石氷河が氷河のシステム(涵養域と消耗域の収支を平衡させる流動システム)に則っているかどうかは,分けて考えるべきだが,氷河説の支持者は前者を(多くは断片的に)確認しただけで後者を念頭にモデルを提示している. また,岩石氷河とその上流側に存在する氷河との間には,地形的なギャップがない場合(図中A)とある場合(図中B,C)があるが,これまでのレビューや討論では,それらの違いを区別した議論がなされていなかった. 論争解決のための分類 (1)氷の主な起源,(2)流動システム,(3)上流側の氷河の有無をもとに,岩石氷河を4タイプに分類した.(1)氷河起源で(2)氷河システムの氷河型岩石氷河(A),(1)氷河起源で(2)非氷河システムの堆石型岩石氷河(B),(1)非氷河起源で(2)非氷河システムかつ(3)氷河が非干渉の崖錐型岩石氷河(D)ならびに(3)氷河が干渉(間欠的に被覆)する氷河被覆型岩石氷河(C)である. この分類に基づくと,Aは涵養量が少なく,涵養域での岩屑/氷比が相対的に大きく,さらに消耗量が極端に少ない寒冷氷河の存在を,Bは氷核モレーン中の氷が岩石氷河を発達させえるだけ長期間保存される環境(永久凍土環境)を,CとDは永久凍土環境を示すと考えられる.Cに関しては上流側の温暖氷河(涵養大・消耗大)の前進が岩屑供給と永久凍土の部分融解を引き起こしている. このうちAとBに関しては,内部構造や内部変形に関する実証的な研究がほとんどなく,その点で上の記述は推論の域を抜けていない.今後の研究の進展が望まれる.
著者
濱田 浩美 斎藤 礼佳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.223, 2010 (Released:2010-06-10)

1. はじめに 摩周湖は、北海道東北部に位置する屈斜路カルデラの一部で、摩周カルデラの凹地に水がたまった湖である。摩周湖は、流入河川、流出河川をもたないため、不純物が運び込まれず、1931年、41.6mの世界一の透明度が観測されたことで知られている。 また、摩周湖は、「霧の摩周湖」で有名である。これは、1966年、歌手布施明が訪れたことのない摩周湖を、想像だけで歌い上げた歌謡曲『霧の摩周湖』がヒットしたことで、「摩周湖=霧、神秘の湖」のイメージが過度に定着したものである。さらに、旅行者の間で「晴れた摩周湖を見ると出世できない、結婚できない」といったジンクスが語られる。これもまた、「摩周湖=滅多に晴れない霧」というイメージを定着させた。しかし、実際には、霧がなく、晴れていて美しい湖を望むことができる日も多いという。 これまでは、摩周湖の霧の発生を検証するためには、現地で摩周湖を目視する必要があり、不可能であった。しかし、2007年12月より、弟子屈町役場が、摩周第一展望台にライブカメラを設置したことにより、その映像によって、現地に赴くことなく、霧を必要期間中観測することが可能となった。そこで、本研究では、1分毎に撮影されるライブカメラの映像を解析し、年間を通し、摩周湖の霧の発生頻度を明らかにすることを目的とした。 また、一般的に、摩周湖の霧は、釧路やその沿岸で発生する海霧が侵入してきたものであるといわれるが、発生要因は明らかにされていない。そこで、霧の発生要因の考察を行った。 2. 研究方法 (1)発生頻度の検証 摩周湖ホームページより配信されている摩周第一展望台に設置されたライブカメラの画像を、フリーソフトSeqDownloadを用いて1分間に1枚ダウンロード保存し、その画像から、視程を読み取った。観測期間は2007年12月28日~2008年11月30日である。画像を14地点に分け、霧により「地点が可視・不可視」を読み取り、霧の発生頻度を求めた。 本発表では、摩周湖の中心部に位置するカムイシュ島(3.0km)をK地点とし、K地点の可視・不可視に重点を置いて検証した。 (2)発生要因の検証 検証には、気象庁アメダス観測所の川湯、弟子屈の気温、風向、風速を収集した。また、インターネットから、毎日午前9時の天気図を収集した。国立環境研究所のGEMS Waterで観測している摩周湖心部の10分毎の水温を用いた。 3. 結果と考察 1日の可照時間中、K地点まで視程のあった時間を100分率で示した。霧発生率ごとの、日数は以下の通りである。 霧発生率x(%) 霧発生日数(日) 0 119 0<x<50 131 50≦x 83 図1に、各月の可照時間中、霧が晴れ、K地点が可視の時間の割合を100分率で示した。 霧によって、もっとも視程が悪化する時間の長い月は、7月、次に、8月で、可照時間中、約半分が霧の発生により不可視である。それ以外の月は、霧が晴れ、K地点が可視の時間が長いことがわかった。とりわけ、秋季、冬季のK地点の可視頻度は20%前後と、低い割合である。 7月、早朝から霧が発生している日が15日を越し、18時に霧が発生している日は20日前後であった。日中に霧が少なくなくなってはいるものの、霧が発生している時間が長い。霧は気温の上がる日中に少なくなり、気温の下がる早朝と夕方に発生することがわかった。11月は、霧の発生した10日未満であった。11月も7月と同様に、早朝に発生した霧が、日中に晴れ、夕方、再び発生することわかった。 夏季に発生する霧は、南東の風によって運ばれた暖かい気塊が冷却され発生する海霧の進入が考えられる。釧路の沖合で発生する海霧は、日本南東の太平洋上から流れてくる暖かく湿った空気が北海道の海面に触れ、冷却されて発生する移流霧と考えられている。海霧との関係を見るために、釧路、鶴居、弟子屈の日照時間を見てみると、摩周湖で霧の発生している日、その3地点の日照時間が0.0時間であった。また、霧の発生している日、第一展望台には南東、南南東の風が吹いていた。このことから、摩周湖に、海霧が侵入したことが考えられる。釧路で日照時間が1.0時間の日の霧については、摩周湖の標高の高さが関係していると考えられる。通常、海霧は、気温の高い市街地で消滅する。しかし、南東の風により、運ばれた暖かく、湿った空気は、摩周湖のカルデラ壁面を上昇する時に断熱膨張し、霧が再び発生する。
著者
荒木 一視
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.74, 2010 (Released:2010-06-10)

1.目的と方法 今日の食料供給体系は高度に複雑化しており,その全貌が明らかになることはない。本報告ではこうした供給体系の持つ食の安全上の問題点を,2008年秋に発生した事故米の不正転売事件(いわゆる三笠フーズ事件)を事例として検討する。具体的な手順としては,第1に農林水産省が発表した資料を手がかりとして,わが国の米及び米加工品の流通実態を明らかにする。すなわち,特定の業者から出荷された米がどのような経路をたどって,加工や小売業者に流れたのかを地図化し,事故米穀が拡散していく過程を空間的に再現する。次に,農林水産省が転売先として公表した業者を対象にしたアンケート調査から,今般の事件から教訓とすべき食の安全上の問題点について考察を加える。なお,アンケートは公表された391の業者(118の給食業者は同一経営体と見なしたため実質274業者)から所在の確認できた266業者に対して郵送し,48の業者から回答を得た(2009年11月実施)。 2. 事故米の不正規流通 三笠フーズによる不正規流通は残留農薬米(メタミドホス,中国産もち米)800トンと同(アセタミプリド,ベトナム産)598トン,カビ米(アフラトキシン,中国・ベトナム・米国産)9.5トンの3ルートがある。メタミドホスの場合はうち123トンが市場流通し近畿地方の23社,九州地方の20社を含む51社の中間流通業者を経て最終的に317社の製造・販売会社に流れ,消費者に渡った。317社のうち近畿地方が166社(118の給食業者を同一経営体と見なすと49社),九州地方が109社である。アセタミプリドは447トンが市場流通し,中間流通業者は,東京,大阪,福岡,鹿児島格1社の合計3社で,いずれも東京2社,福岡1社,熊本3社,鹿児島3社の酒造業者に出荷された。カビ米は2.8トンが市場流通し,2社の中間流通業者から鹿児島県の酒造業者3社に渡った。 3. 食の安全上の脆弱性 業者に対するアンケート結果からは,悲痛な叫びともいえる訴えが多く寄せられた。本来これらの業者は事故米と知らずに使用,販売していたにもかかわらず,農林水産省による公表によって,加害者扱いされかねない状況を被ったからでもある。回答を得られた48業者のうちわけは,菓子・和菓子の卸,製造,販売にかかわるものが34,食材・食品卸が5,米穀販売4,酒造2,食品製造1,給食1,飼料卸1であった。従業員数は1000人を越える2社(給食と酒造)を除くといずれもが100人以下であり,10人未満の零細な規模の業者が26社にのぼる。以下,10人台が8社,20人台が4社,30人台が3社,40,50,80,90人台が各1社であった(無回答1)。また,主たる販売先も29業者が自市町村やその周辺としており,販路を都道府県外としたものは5社であった。業者リスト公表以後の業績の落ち込みについては,半数の24業者が1年以上を経た今日でもなお,公表以前の水準を回復できていないとしている。 以上のようにわずか百トン余の原料米が,和菓子製造業者などの使用量の少ない小規模の業者に広範に流通したことがうかがえる。このような流通経路を持つ食品に関しては,風評被害の発生を避けるためにも,きめ細かな情報の開示と管理が必要であるとともに,損害補償ではなく開示措置に対する補償も十分に検討債いく必要がある。
著者
吉岡 亮太
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.209, 2010 (Released:2010-06-10)

1.はじめに 神社の全国的な分布を明らかにしようとする研究は、長い歴史を有するにもかかわらず、今も未解明な点を多く残している。特に、全国で12万社以上ともいわれる神社を、その系統別に整理し、その分布を複合的に検討し、分布の地域的特質とその要因を明らかにした研究はあまり見られない。本研究では、デジタルデータである「平成『祭』データ」の特性を生かして、このような課題を解明することを目的とする。 2.研究方法 「平成『祭』データ」は全国に鎮座する神社のうち約8万社についての基礎的な情報を掲載しており、全国的な検討をする際には極めて有用な資料である。このデータの文字検索機能を用いて分析し、神社をその名称によって系統的に整理し神社群を設定した。そのうち神社数が20社以上という基準を設定すると、197の神社群を抽出することができた。特に、突出して多いのが1位の「八幡宮」群であり、以下29位の「氷川神社」群までは急速に減少していき、それ以下は横ばい傾向を示す。そこで、29位までを主要神社群とみなすこととし、それらについて分布を検討した。 3.各神社群の分布による東西格差 総神社数の6割を占める主要神社群29社の分布は、「越前―美濃―尾張」ラインを境として大きく異なる。すなわち、それ以東においては全体として29社の占める比率が高く、それ以西では比率の高い地域が一部塊状にあらわれ、神社分布においても「東北日本」「西南日本」という地域差が認められる。 次に、主要神社群を構成する各神社群の分布の特質を地図化を通して明らかにした。その結果、神社群の中には全国的に鎮座が見られるものとそうでないものとに二分でき、主要な神社群は前者に属する。そこで前者の分布特質に対して5つの型が指摘できた。第一は、「八幡宮」群や「賀茂神社」群、「厳島神社」群がそれに該当するが、各国にほぼ一定数で鎮座が見られる型であり「分散型」と呼称できる。第二は、「白山神社」群や「諏訪神社」群、「鹿島神社」群が該当するが、本社を中心とする地域への集中が顕著であり圏構造が認められる「偏在型」である。第三は、「天満宮」群や「日吉神社」群などがそれに該当するが、本社をおく地域を中心にした圏構造は見られる一方で、それ以外の地域にも一定数の神社が存在する型であり、第一と第二の中間ということで「中間型」と呼称することができる。次に、第四は、「熊野神社」群や「稲荷神社」群、「愛宕神社」群が該当するが、本社の存在する地域から離れた遠隔地にむしろ神社が集中する「乖離型」である。最後に第五は、「神明宮」群がそれに該当するが、第三と第四の両面を併せ持つ型であり、仮に「特殊型」と称しておく。 このような各神社群の分布パターンと、本社の位置との関係を整理すると、「東北日本」に本社をおく神社全てと、「越前―美濃―尾張」ラインにごく近い伊勢に本社をおく神明宮は、共通して「偏在型」という特徴を有しており、「越前―美濃―尾張」ラインが分布上の境界となっている「西南日本」への鎮座が極めて少ない神社であった。一方で、「西南日本」に本社をおく神社は、「分散型」もしくは「中間型」を示し、「越前―美濃―尾張」ラインを越え「東北日本」へと等しく分布している傾向が見られる。また、「乖離形」を示した神社も「西南日本」に本社を持つ神社群であるが、4社中貴船神社群をのぞく稲荷神社群・熊野神社群・愛宕神社群の3社が「東北日本」内の「東国」への集中傾向を示しており、「東北日本」「西南日本」の境界がより東に傾いてあらわれていた。 このように、「東北日本」側の神社にとって「越前―美濃―尾張」ラインがその境界として機能していた一方で、「西南日本」側に本社を持つ神社には、「越前―美濃―尾張」ラインが境界として機能しておらず、一貫して「東北日本」への伝播・勧請の影響が強くあらわれていた。「東北日本」と「西南日本」にあらわれる地域差は、それぞれに本社をおくこうした神社分布パターンの差異によって形成されたと考えられる。 4.今後の課題 以上、神社の分布について全体の約6割を占める主要神社群の分布検討を通して分布上の特質を、全体のみならず主要神社群の類型化の結果を通して明らかにした。ただ、国を基域とした全国レベルの検討にとどまっており、また予想された以上に多い5つもの類型があらわれる結果となった。したがって、今後よりミクロな分析により、このような分布パターンが現出した要因についても明らかにできると考える。
著者
鎌田 高造
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.54, 2010 (Released:2010-06-10)

国土地理院と測量法 我が国における測量、とりわけ公費を投入して行われる測量は、その正確さを確保すること及び測量の重複を排除する観点から、測量法に基づいて実施しなければならないこととなっている。 国土地理院は、全ての測量の基礎となる測量―これを測量法では「基本測量」と定義している―を実施している国家機関である。国土(領土領海の境界を含む)の正確な形状を示し、また、日本国内で測量を行う全ての者のために測量の基準(とりわけ位置の基準)を決定することが、基本測量の権能である。 測量の結果として得られる成果は、大別して基準点の成果(正確な経緯度、高さなどの数値)、1/25,000地形図に代表される地図及びに分類される。これらの測量成果は、誰でも安価に成果を入手することができる。 測量成果の保管及び供覧 得られた測量成果は、大切に保管しておかねばならない。国土地理院では、測量法制定以降の成果はもちろん、旧陸地測量部時代の測量成果についても保管している。例えば地図は、明治や大正期に作成されたものも「旧版地図」として保管しており、それらをつくば市の本院及び各地の地方測量部で閲覧に供している。特につくば市の本院では、「情報サービス館」を設けて、全国の空中写真約110万枚、国土地理院が刊行した過去から現在に至る全ての地図、基準点の成果表及び点の記等について、閲覧に供するとともに、希望者には謄抄本の交付も行っている。 国土変遷アーカイブ 社会のIT化が進んでいることを受けて、測量成果もウェブ上で閲覧に供している。1/25,000地形図などは10年以上前に試験公開を開始したが、空中写真や旧版地図は平成16年度に「国土変遷アーカイブ」と銘打ってウェブ上での公開を開始した。 国土変遷アーカイブでは、さまざまな撮影時期の空中写真及び明治期以来の地形図(旧版地図)をデジタル化し、DBに格納している。空中写真はウェブ上に簡易検索システムが用意されており、撮影コース、撮影場所、撮影時期などをキーとして検索可能となっている。空中写真は、ファイルサイズと精細度を勘案して、200dpi でフィルムを読み取ったものを閲覧に供している。一方、空中写真はファイルサイズが巨大でウェブ公開には適さないため、つくば市の本院にある情報サービス館のパソコンで自由に見られるようサービスしている。 国土変遷アーカイブの意義 国土変遷アーカイブは、国土地理院が保有する膨大な地図と空中写真をデジタルでアーカイブいるので、地域の時系列的な変化を容易に追うことができる。 また、過去の地形、地貌を確認できるため、工事などによる土地改変が行われる前の現地の状況を知ることも容易である。 空中写真については、更に高い解像度の画像を必要とする利用者も多いが、それらの利用者のために、最大2540dpiまでの画像を別途販売しており、販売サイトへも簡単に画面を遷移することができる。 地図と測量の科学館 平成8年、国土地理院の敷地内に「地図と測量の科学館」がオープンした。この施設は、地図及び測量全体の博物館的な役割を持っており、陸地測量標条例施行以前の古地図についてもその一部が展示されている。 この地図と測量の科学館は土曜日及び日曜日も開館しており(定休日は月曜日)、市街地中心部から無料バスが運行されているなど、つくば市の観光スポットの1つに数えられている。特に、昨年秋には開場以来の累計入場者数が50万人を突破した。 地図と測量の科学館と情報サービス館とは棟続きになっており、利用者の便を図っている。 公共測量成果の保管委託 公共測量の成果は、当該公共測量を実施した計画機関が保管すべきところであるが、一般の行政文書には保存年限は数年程度にしか定められておらず、行政機関が過去の測量成果を全て保管するのは容易ではない。 国土地理院では、地方公共団体等が実施した測量の成果についても、その保管及び供覧を受託している。この施策はまだ十分に知られていないため、今後の普及活動が重要である。
著者
植木 岳雪
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.128, 2010 (Released:2010-06-10)

はじめに 関東山地から関東平野に流れる相模川,多摩川,荒川などの河川は,氷期―間氷期サイクルに対応した河床変動(貝塚,1969)を示すことが知られている.すなわち,氷期には気温と海面の低下によって,上流部では堆積段丘,下流部では侵食段丘が形成され,河床縦断面は急勾配で直線状になる.一方,間氷期には気温と海面の上昇によって,上流部では侵食段丘,下流部では谷を埋める平野が形成され,河床縦断面は緩勾配で下に凸の形になる. 相模川では本流の上流部,支流の道志川で最終氷期に堆積段丘が形成された(相模原市地形・地質調査会,1986).堆積段丘の主体をなす本流性の礫層には御岳第一テフラ(On-Pm1)がはさまれ,箱根東京テフラ(HK-TP)あるいは姶良Tnテフラ(AT)にほぼ同じ高さの段丘面が覆われる.このことから,酸素同位体ステージ5cから3にかけて本流の上流部と道志川の谷が埋積されたことがわかる.また,HK-TPの降下後にいったん谷の下刻が生じたことが示唆される.一方,支流の中津川,串川の堆積段丘はHK-TPに覆われ,それらの河川では酸素同位体ステージ4には谷の埋積が終了していたことになる.また,支流の境川の谷中には角礫層が分布しているが,それは局所的なものとされている(久保,1988). 相模川と同様に,多摩川でも本流の上流部で最終氷期に堆積段丘が形成された(高木,1990).堆積段丘の主体をなす本流性の礫層にはHK-TP,最上部の支流性の礫層中にはATがはさまれることから,酸素同位体ステージ4から3にかけて本流の上流部の谷が埋積されたことがわかる.一方,支流では上流部まで侵食段丘が分布しており,最終氷期に谷が埋積されたかどうかは明らかではなかった. 本研究では,5万分の1地質図幅「八王子」の調査研究の一環として,相模川,多摩川の段丘の記載を行った.その中で,相模川の支流の中津川,串川,境川,多摩川の支流の浅川の堆積段丘の形成時期について,新たな知見が得られたのでここに報告する. 中津川・串川 中津川の堆積段丘(半原台地)と串川の堆積段丘(串川面)はHK-TPに覆われるとされていたが,HK-TPは段丘礫層中にはさまれることが明らかになった. 境川 境川の角礫層は谷を埋積しており,HK-TPが含まれていることがわかった. 浅川 浅川には侵食段丘が連続的に分布しているが,八王子市西浅川町,元八王子町,下恩方町では谷を埋積する礫層が見られる.下恩方町の礫層中の腐植のAMS14C年代は,10120+/-60 yBPであった. 相模川と多摩川の支流の堆積段丘の形成時期 相模川の支流の中津川と串川では,本流と同様にHK-TPの降下後の酸素同位体ステージ3まで谷の埋積が続いた.境川でもHK-TPの降下をはさんで谷の埋積が行われた.多摩川の支流の浅川では,谷の埋積が盛んであった時期はわからないが,完新世の直前まで谷の埋積が行われた所がある.このように,相模川,多摩川の支流でも,本流と同様に酸素同位体ステージ3にかけて堆積段丘が形成されていたことがわかった.境川や浅川で堆積段丘がほとんど分布しないのは,もともと堆積段丘の分布や谷を埋積した礫層の厚さが小さく,完新世の下刻作用で失われたためと思われる. 引用文献 貝塚(1969)科学,39,11-19;久保(1988)地理評,61A,25-48;相模原市地形・地質調査会(1986)相模原の地形地質調査報告書(第3報),相模原市;高木(1990)第四紀研究,28,399-411.
著者
田添 勝康
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.269, 2010 (Released:2010-06-10)

はじめに 我が国の工業地域では, 都市部への過度の人口集中と公害問題を背景とした工業等制限法の制定, 産業構造の軽小短薄産業へのシフト, バブル経済崩壊による経済全体の総需要の低下等に伴い, 多くの工場が移転・廃止を余儀なくされ, 遊休地化が進んだ. しかし, バブル経済の崩壊後は都心の地価が大幅に下落し, 政府の都心共同住宅供給事業の推進もあいまって, 1990年代後半以降は, 首都圏におけるマンション供給が進んだ. 中でも, 佃島(中央区), 台場(港区), 東雲(江東区)のように臨海部の大規模工場跡地では, 再開発により大規模高層マンションが供給された. このような大規模再開発地区では新住民の転入によって人口が急増し, オフィスや居住者を対象とした商業施設やお洒落なレストランが景観を一変させ, 新たなまちを生み出してきた. しかしながら, このような再開発地区における空間再生産の実態に言及した研究は未だ乏しい. 調査の目的と方法 江東区の豊洲2・3丁目再開発地区は, バブル経済崩壊を再開発事業中に経験していない, 最も新しい大規模再開発地区の一つである. 本研究では, この豊洲2・3丁目地区を対象とし, 空間の再生産を担う住民の特性と新たに形成された地域コミュニティの存在を明らかにすることを目的する. 調査方法は, 居住者に対するアンケート調査(配布数828枚、回収率18.1%), ならびに聞き取り調査である. 調査結果と考察 アンケートの結果, 豊洲2・3地区における居住者の67.0%が特別区内からの転居であり, 当該地区における空間の再生産が都心回帰現象と強く関連するものではないことが明らかとなった. しかしながら, 周辺3県のうち千葉県からの転居は16.5%に上った.他の再開発地区における先行研究で郊外からの転入は殆どみられず, 都心回帰現象との関連性が否定されてきたことに鑑みて, このことは当該地区の特徴であるといえる. 年齢層は, その多くが30代の若い夫婦と, 4歳までの未就学児であった. このことは, 同時期の江東区全体, 及び過去に再開発が行われた他地区の事例と比較しても顕著な傾向であり, 少子高齢化の時代にあって当該地区の大きな特色の一つである. 就業者の職業は, 金融・保険業, 不動産業, 情報通信産業, 医療・福祉分野が卓越し, 上層ミドルクラスに属する典型的なジェントリファイヤーの存在が確認された. 聞き取り調査の結果からは, 当該地区居住者は自己のライフスタイルに応じた多様なコミュニティに属していることがわかった. それらは, 1)居住者専用の施設サービスを通じて近隣との付き合いを広げていくタイプものと, 2)職種や趣味を同じくする人々がマンションや地域の外で, 首都圏に居住する人々と近隣社会に依存しない付き合いを行うものに大別される. また, 豊洲2・3丁目地区に隣接し, 以前から住宅地であった豊洲1・4・5丁目でも, 小規模工場跡地のマンションに転居してきた新たな居住者が, 地域の自治会の活動を通じて新・旧住民の間に新たなコミュニティを形成しつつある. 再開発に伴うジェントリフィケーションの発現が認められた豊洲2・3丁目地区は, 今後, 異なる背景を持つ近隣コミュニティとどのような関係を築いていくのかが課題となる. 質的に異なるコミュニティを抱える両地区が, 良好な関係を築いていくのか, 或いは社会的コンフリクトを強めていくのかは今後注視すべき事柄である
著者
平井 松午 古田 昇
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.103, 2010 (Released:2010-06-10)

1.はじめに 四国・吉野川では,河口から約40kmに位置する岩津下流の堤防整備率は98%に達しているが,岩津~池田間の中流域における整備率は約63%である。そのため,今でも約18kmが無堤区間であり,水害防備林としての竹林景観が卓越している。本報告では,すでに堤防整備がなされた美馬市穴吹町舞中島地区を事例に,築堤以前と以後とにおける竹林景観の変化を報告するとともに,今後計画されている築堤区間における竹林景観保全のあり方について検討するものである。 2.築堤以前の洪水被害 舞中島地区は,吉野川第一期改修工事(1911~27年)によって全戸立ち退きとなった善入寺島に次ぐ大規模な川中島で,1961年当時の竹林を含む地区面積は約175haであった。吉野川の洪水を受けやすいことから,竹林・樹木で地区全体を囲繞し,吉野川本流の上流側には掻き寄せ堤を設けて,外水氾濫に備えてきた(図1)。 低平な舞中島の標高は約39~45mで上流(西)側に高く,上流側から4列ほどの微高地が下流側に向けて樹枝状に延び,高石垣を持つ古い家屋はこうした微高地上に分布する(図2)。洪水時には,吉野川本流や派流の明連川から外水が掻き寄せ堤を越流するとともに,下流側の明連川河口側からも洪水流が逆流し,標高の低い地区内の北東部が湛水地帯となった。 洪水時には大きな被害を受ける舞中島ではあったが,周囲の竹林・樹木が緩衝帯となって,島内に激流が押し寄せることはなかった。また,家屋には高石垣を施し,家屋の上流側にはクヌギ・ケヤキなどの樹木を植えて流下物(巨礫・樹木・木材など)から家屋を守るとともに,下流側にも樹木列を配して家財が流されるのを防いできた。 3.築堤後の景観変化 舞中島の築堤工事が開始されたのは1968(昭和43)年度で,1977年度には完成し,以後,同地区では内水被害はみられるものの(図2),従来のような外水氾濫の被害を受けることはなくなった。 築堤時には,一部の家屋・農地が河川敷となったものの,堤防が竹林南側に敷設されたことから,吉野川沿いの竹林景観の多くは維持されることになった(ただし,一部は牧草地やグランドに転用されている)。これは,河川敷となった竹林部分が国有地となったためでもある。しかしながら,1)築堤により洪水被害を受けなくなったことから,民有地であった明連川沿いの竹林は別用途に転用され,一部を残して著しく減少した(図3)。また,2)外水被害がなくなったことから,舞中島では住宅建設が進んだが,一部の新住民は標高の低い湛水地帯に住宅を建設したため,かえって内水被害を受けることになった。 付記 本報告は,平成21年度河川環境管理財団河川整備基金助成事業「吉野川流域の竹林景観の形成と保全に関するGIS分析」(研究代表者:平井)の成果の一部である。また,使用した航空写真や標高データについては,国土交通省徳島河川国道事務所から提供いただいた。
著者
熊木 洋太
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.1, 2010 (Released:2010-06-10)

地理学は現実社会のさまざまな問題の解決に役立つ学問である。特に災害の研究は,地理学が社会に直接貢献できる分野である。このような観点から,日本地理学会災害対応委員会では,2003年の春季学術大会以来,これまで8回の公開シンポジウムを開催してきた。これらのシンポジウムでは,専門研究者の立場からの発表が中心であったが,自然災害を防止したりその被害を軽減させたりするには教育の役割が大きいということがくり返し言われてきた。 すなわち,自然災害が多発するわが国において,国民の「防災力」を高めるには国民の間に自然災害に関する的確な知識が共有されていることが必要であり,このためには,初等・中等教育の段階から自然災害について学ぶ防災教育が重要であるということである。自然災害は自然現象であると同時に,その地域の社会構造とも密接に関係するので,土地の自然的性質や,土地利用,地域の空間構造などを取り上げ,地域の自然と社会を総合的に扱う「地理」は,災害の学習に最も適した科目・分野であると思われる。2004年12月のスマトラ沖地震津波の際には,プーケット島に滞在中のイギリス人少女が「地理」の時間に習った津波の来襲だと周囲に告げたため,多くの人が助かったと報道された。近年ハザードマップの重要性が指摘されることが多いが,これはまさに災害の地理的表現にほかならない。災害を引き起こす自然現象について学ぶ分野として,高等学校では「地学」もあるが,それを履修する生徒がきわめて少数である現実を考えると,「地理」の果たす役割は大きい。 日本学術会議は2007年の答申「地球規模の自然災害の増大に対する安全・安心社会の構築」において,学校教育における地理,地学等のカリキュラム内容の見直しを含めて防災基礎教育の充実を図ることを提言している。また同年の地域研究委員会人分・経済地理と地理教育(地理教育を含む)分科会・地域研究委員会人類学分科会の対外報告「現代的課題を切り拓く地理教育」では,地域防災力を高め安心・安全な地域作りに参画できる人材の育成と,そのために必要な自然環境と災害に関する地理教育の内容の充実を提言している。これらを踏まえ,2009年8月に活動を開始した地域研究委員会・地球惑星科学委員会合同地理教育分科会では,12月に下部組織として環境・防災教育小委員会を発足させ,地理教育における防災教育のあり方について検討を始めた。 初等・中等教育に関しては,学習指導要領の改訂が行われたところであり,新学習指導要領は小学校が2011年度,中学校が2012年度,高等学校が2013年度から完全実施される。地理に関しては全体的に地図の活用が強調されている等の特徴があるが,高等学校「地理A」において,「我が国の自然環境の特色と自然災害とのかかわりについて理解させるとともに,国内にみられる自然災害の事例を取り上げ,地域性を踏まえた対応が大切であることなどについて考察させる」という記述が新たに加わったことが注目される。 このシンポジウム「『地理』で学ぶ防災」は,以上の状況を踏まえ,日本地理学会の災害対応委員会と地理教育専門委員会によって計画され,日本学術会議との共催で実施される。小学校,中学校,高等学校,大学の各段階での実践例に基づく発表を軸として,地理学・地理教育の立場から学校教育の中での防災教育のありかたや方法を取り上げて検討する。
著者
佐藤 正志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.216, 2010 (Released:2010-06-10)

1.はじめに 現在の日本においては,公部門の財政の縮小を狙いとした行財政改革が国の主導によって推進されている.地方行財政改革では NPM(New Public Management)と呼ばれる,効率化策と同時に,参加する主体も民間企業に限定されず,住民やNPOといった非営利組織との協働を図ることによって新たな公共空間の形成を目指す,公民連携の概念の導入が進められている. しかし,国によって進められている公共経営の方針転換が全国の自治体で画一的に導入されるわけではないと考えられる.各自治体は,内在する社会経済構造や,政治構造といった地域特性に応じて公共経営を展開するため,国の政策の受容は地域特性に応じて異なると考えられる. この点を踏まえ,本研究では,国が進めた行財政改革策が地方自治体によってどのように受け入れられているのか,導入状況や連携の構築状況の地域差を把握することによって,地域特性に応じた地方行財政改革の影響を予察する. 対象として,地方行財政改革の中で新たに導入され,行政と非政府組織の間での連携による公共経営を目指した「指定管理者制度」を取り上げる. 2.指定管理者制度の特徴と自治体での導入状況 指定管理者制度は,2003年9月に地方自治法を改正する形で導入された,公の施設管理運営に関する新たな公民連携の手法である.指定管理者制度の特徴として,(1)行政または公的な目的を持つ団体に限定されていた施設管理運営を,民間企業やNPO法人でも可能にした点,(2)民間企業やNPO法人が,サービスや料金を自由に設定できるように変更した点があげられる.すなわち,施設運営において民間企業やNPO法人を導入することで,効率化とサービスの効果の向上を両立させることを目指した策である. 本発表では,日経産業消費研究所が実施した2006年4月1日付調査「自治体における指定管理者制度導入の実態」を用いて,全国の都市および東京特別区715市区での導入動向を確認する.まず,各市区での導入状況および民間企業,NPO法人の選定状況を確認すると,導入状況やNPO法人選定状況では大都市圏に集中する傾向は見られなかった.対して,民間企業では,首都圏を中心にした大都市圏で選定比率が高まる傾向が見られた.この動向を踏まえると,民間企業の選定においては都市圏内での企業の存在が大きく選定に影響を及ぼすと考えられる. 3.自治体別の民間企業・NPOの選定状況と域内外関係 次に,本発表で対象とする都市を,都市圏および人口数別に9に類型化し,各類型の民間企業およびNPOの選定先の状況を確認した.結果として,三大都市圏をはじめとした大都市圏の都市では,近接した地域の企業との取引を行っていることが示される.反面,県庁所在地を中心に,地方都市では,100km以上離れた民間企業を選定する比率が高まることが示される(図1).この背景には,地方都市における専門サービス業者を中心とした民間企業の不在が同一市区外の企業との取引に影響していると考えられる. 他方,NPOの選定状況は,90%以上の選定先が同一市区内である.同一市区外のNPO法人の選定は,特定のNPO法人に限定されており,大半が地域に根ざした活動に対応していることが示される. こうした現況を踏まえるならば,分権化の理念において自律的かつ地域に見合ったサービスへの転換が図ることが望ましいとされる.しかし,実態としては専門分野を中心に域外への民間企業へ依存している点を踏まえると,他律的な公共経営に陥る可能性がある点が示される.