著者
古谷 利夫
出版者
公益社団法人 日本薬学会
雑誌
ファルマシア (ISSN:00148601)
巻号頁・発行日
vol.50, no.5, pp.383, 2014

創薬は難しい.私は,物理化学あるいは構造生物学の立場から少しでも創薬に貢献しようと悪戦苦闘してきた.いまではSBDD<sup>※1</sup>やFBDD<sup>※2</sup>はHTS<sup>※3</sup>などと同様,創薬手法としてよく知られた方法だが,私の挑戦は1987年に遡る.NMRで決定したBPTI<sup>※4</sup>の構造を,X線で決めた構造と比較した論文を読んだとき,タンパク質の立体構造を利用する創薬が早晩必須となることを予感した.ちなみに1987年のPDB<sup>※5</sup>に登録された立体構造は年間25個,累積で238個であった.2012年の年間登録が8,936個,累積で86,975個であることと比べると隔世の感がある.<br>標的タンパク質の立体構造に基づく創薬をラショナルドラッグデザインと呼び,X線構造解析法とNMR法という実験的な手法に,コンピュータを使ったシミュレーションを加えたSBDDが登場した.私は所属していた山之内製薬(現アステラス製薬)の研究所が1989年につくばに移転した際に,大変な苦労の末にX線回折装置と600MHzNMRに加えて,コンピュータグラフィックスを揃えた分子設計研究室の設立を推進した.当時は日本国内のX線結晶学の研究者を集めても,海外の大手製薬会社1社のX線結晶学の研究者程度しかいないと言われた時代であった.SBDDは1990年のHIVプロテアーゼとリガンドとの複合体解析に始まり,その後,ノイラミニダーゼを標的にしてタミフルがデザインされた例は有名である.また,1994年にはSAR by NMRが発表され,FBDDの源流となった.FBDDを武器とした創薬ベンチャーが幾つも登場し,その中の1つ,Plexxikon社が2005年に見いだしたゼルボラフはBrafタンパク質の変異型を標的とした皮膚がん治療薬として,FBDDによる最初のFDA承認薬となっている.<br>SBDDやFBDDを支える中心的な技術は,タンパク質の構造解析である.タンパク質の基本構造は10,000種類と見積もられ,網羅的に構造を決める世界的な構造ゲノミクスが計画された.日本では2002年からタンパク3000プロジェクトがスタートし,2007年度までの5年間で3,000を大きく超える構造決定に成功した.評価は様々あるようだが,日本の構造生物学研究を支える多くの研究者を育て,製薬企業の創薬研究に質的変化をもたらした功績は大きいと考えている.その後も技術は進展し,重要な創薬標的であるGPCR<sup>※6</sup>の構造決定が進んでいる.また最近,19F-NMRを使ったスクリーニング法も注目されている.これは,フッ素原子を含む承認薬が全体の約1/3を占めている点に着目し,フッ素原子を好むタンパク質側の結合部位を探索する手法であり,単にFBDDの一手段に留まらず新たなドラッグデザインにつながる可能性をはらんでいる.<br>創薬は難しい.しかし,活性や選択性を上げるためには標的タンパク質がリガンド分子を認識する描像を手にすることが必要で,これが創薬に大きく貢献することに異論を挟む人はいないであろう.海外の製薬会社が極めてルーティン的にSBDDやFBDDを創薬に取り入れているのに比べ,日本ではまだまだという感は否めない.構造生物学の重要性をより一層認識して欲しいものである.<br><br>※1 SBDD:structure based drug design(標的タンパク質の構造に基づく分子デザイン),※2 FBDD:fragment based drug design(フラグメント分子を利用した分子デザイン),※3 HTS:high throughput screening(ハイスループットスクリーニング),※4 BPTI:bovine pancreatic trypsin inhibitor(ウシトリプシン阻害剤),※5 PDB:Protein Date Bank(タンパク質構造データバンク),※6 GPCR:G-protein coupled receptor(Gタンパク質共役受容体).