著者
吉田 栄夫
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1077-1080, 1961-10

1960年11月1日から12月15日にわたって,昭和基地南西約300kmにあるやまと山脈への旅行が第4次越冬隊によって行なわれ,大陸氷および山地の氷河学,地質学,地理学的調査が行なわれた.これらの成果は現在整理中であるが,山脈の地形の概略を報告する.やまと山脈はほぼ南北に連なる7群の山塊群からなり,東南東より流下する大陸氷は,これに阻げられて停滞し,山群間を破る溢流氷河によって西北方へと氷を排出している.山地はいずれもこれらの氷河群と,大陸氷から独立した圏谷氷河,谷氷河によって氷蝕を受けた典型的な氷蝕地形をなしている.山塊郡は地形的にも2つの弧をなし,西側へ張り出した6群の山塊による弧と,その東側の1つの山塊及び数個のnunatakからなる弧とが雁行している.山脈の南方には数個のnunatakないしは山塊があって,氷堤(大陸氷が氷崖を作って段をなしている)をもって内側の弧に連なっている.やまと山脈は花崗岩,花崗片麻岩等の深成岩体よりなるが,これらの地質構造は前述の弧状構造をよく示し,地形に大きな影響を与えている.第四紀以降の氷床の後退は山地の各所にその証拠を止めていて,後退の種々のstageが観察されるが,これらを大観してみれば,後退は北ほど進行しており,かつ現在もなお後退を行なっていると言うことができる.
著者
吉田 栄夫 Yoshio YOSHIDA
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1077-1080, 1961-10

1960年11月1日から12月15日にわたって,昭和基地南西約300kmにあるやまと山脈への旅行が第4次越冬隊によって行なわれ,大陸氷および山地の氷河学,地質学,地理学的調査が行なわれた.これらの成果は現在整理中であるが,山脈の地形の概略を報告する.やまと山脈はほぼ南北に連なる7群の山塊群からなり,東南東より流下する大陸氷は,これに阻げられて停滞し,山群間を破る溢流氷河によって西北方へと氷を排出している.山地はいずれもこれらの氷河群と,大陸氷から独立した圏谷氷河,谷氷河によって氷蝕を受けた典型的な氷蝕地形をなしている.山塊郡は地形的にも2つの弧をなし,西側へ張り出した6群の山塊による弧と,その東側の1つの山塊及び数個のnunatakからなる弧とが雁行している.山脈の南方には数個のnunatakないしは山塊があって,氷堤(大陸氷が氷崖を作って段をなしている)をもって内側の弧に連なっている.やまと山脈は花崗岩,花崗片麻岩等の深成岩体よりなるが,これらの地質構造は前述の弧状構造をよく示し,地形に大きな影響を与えている.第四紀以降の氷床の後退は山地の各所にその証拠を止めていて,後退の種々のstageが観察されるが,これらを大観してみれば,後退は北ほど進行しており,かつ現在もなお後退を行なっていると言うことができる.
著者
吉田 栄夫
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.186-205, 1987-11

第27次南極地域観測隊は, 吉田栄夫隊長以下50名(うち内藤靖彦越冬隊長以下35名が越冬隊)で編成され, これに南極輸送問題調査会議の村山南極本部委員をはじめ, 運輸省船舶技術研究所, 海上保安庁からの調査者4名が夏期間同行した。1985年11月14日東京湾を出港した「しらせ」は, オーストラリアのフリマントル港に寄港中, エンダービーランド沖で40日余りにわたって厚い密群氷のため行動の自由を失った, オーストラリアがチャーターした観測船「ネラ・ダン」救出の命令を受け, 航路や観測の一部を変更して直行し, 12月14日氷からの解放に成功, 16日その任務を完了した。この後ブライド湾沖に12月10日に到着, 約110tの物資輸送, あすか観測拠点の発電棟建設, ブライド湾でのバイオマス観測などを行い, 8名のセールロンダーネ地学調査隊を残して, 「しらせ」は12月31日昭和基地へ向かい, 1986年1月4日昭和基地に到着し, 約760tの物資輸送, 鉄骨2階建て作業工作棟ほかの建設作業, 航空機の搬入と短期間の運航, 野外調査などを実施した。2月7日, 昭和基地近傍を離れて再びブライド湾に向かった「しらせ」は, リュツォ・ホルム湾の厚い密群氷帯の突破に2日間の苦闘を強いられたが, 2月11日ブライド湾に到着し, 第26次越冬隊の内陸調査隊, 第27次夏隊のセールロンダーネ調査隊を, 11日, 12日に収容し, その後係留ブイ揚収ほかのブライド湾バイオマス観測, グンネルスバンク, リュツォ・ホルム湾沖などの氷縁付近から北上航路での海洋観測などを天候の許す限り実施しつつ, ポートルイス, シンガポールを経て, 4月20日東京港に帰港した。
著者
吉田 栄夫
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.58-82, 1983-03

44名の第20次南極地域観測隊は, 1978年11月25日東京港を出航し, 昭和基地に向かった。観測項目は多岐にわたるが, 第20次隊から重点項目として, 3年計画によるPOLEX-Southおよび地学総合調査が実施されることとなった。夏期の観測は, 航路上および氷海接岸中の海洋観測, 昭和基地対岸大陸上での予察的人工地震探査, 露岩地域の地質調査と測地作業であった。FGGEのための漂流ブイ観測に協力して, 7個のオーストラリアのブイ投入も, 39°S;109°E, 62°S;85°Eにわたる海域で行われた。夏期建設作業は2階建の夏期隊員宿舎の基礎部分の建設, 各建物の補修, 通信機関係整備等であった。一方, 11名のNHKチームがインテルサットによるテレビ放映を, 1979年1月28日から2月3日の間実施し, このための建設作業, 取材等に観測隊, 「ふじ」乗組員が協力した。航空機損傷により越冬をとりやめた2名を含む12名の夏隊は, 1979年4月20日東京に帰着した。