- 著者
-
鈴木 るり子
名原 壽子
- 出版者
- 一般社団法人 日本農村医学会
- 雑誌
- 日本農村医学会学術総会抄録集 第59回日本農村医学会学術総会 (ISSN:18801749)
- 巻号頁・発行日
- pp.105, 2010 (Released:2010-12-01)
目的】岩手県沢内村(現西和賀町)の保健・医療体制は沢内方式とよばれ、地域包括医療の先進事例として評価されている。この沢内村で展開された地域包括医療が与えた影響について検証する。
【方法】聞き取り並びに文献
【結果及び考察】沢内村は1950年代後半まで豪雪、貧困、多病・多死の村と言われていた。1957年の乳児死亡率は、全国平均の2倍と高率であった。1957年無競で村長に当選した深沢晟雄は、「自分たちで自分たちの生命を守る」ことを、住民と行政の共通課題として掲げ社会教育を基盤にした村づくりを展開した。1960年12月からの老人医療費無料化、翌年4月からは60歳、乳児の医療費無料化を実施した。その結果当時では予想できなかった全国初の乳児死亡ゼロを1962年に達成したのである。
1962年に「沢内村における地域包括医療の実施計画」が策定され、健やかに生まれる、健やかに育つ、健やかに老いる、を目標に掲げた。この目標実現に向けて保健と医療の一体化を図った包括医療の体系化は、沢内方式として、地域包括医療のモデルとなり、国内外に大きな影響を与えた。
沢内で展開された地域包括医療は行政の責任で実施されたことに特徴はあるが、その根底にあった豪雪、貧困、多病・多死の悪条件を住民とともに克服し、沢内村に住むための環境を整えていく実践は、住民の意識を変えた。まさにプライマリーヘルスケア、ヘルスプロモーションの実践であった。