著者
四條 知恵
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
no.18, pp.19-33, 2012-06-16

キリスト教の信仰に影響された特徴的な語りが長崎で生まれた。この背景には、永井隆という人物の影響があるとされる。カトリック教徒であった医学博士永井隆は1951年に病没するまでの間に旺盛な執筆活動を行い、現在も長崎の原爆の象徴として一般に語られる人物であるが、『長崎の鐘』[1949]に代表される彼の著作に見られる原爆に対する独特な思想〔燔祭説:原爆死を神への犠牲(燔祭)と捉える考え方〕は、占領軍への親和性や原爆投下責任の隠蔽、さらには長崎における原爆の記憶を発信する上での消極性につながるなどとして批判を受けてきた。しかしながら、そこでは永井の思想が与えた影響力は常に前提とされ、実際の受容状況が測られることはなかったといえる。本稿では、純心女子学園を対象に、原子爆弾による甚大な被害がどのよう語られてきたのかを考察することで、燔祭説の受容と戦後65年間にもたらされた変化を提示する。