著者
堀内 一徳
出版者
奈良大学史学会
雑誌
奈良史学 (ISSN:02894874)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.82-90, 1989-12

トリアー、リヨン、アルルのローマ帝国のガリアの造幣所は五世紀に公の貨幣鋳造を中止し、メロヴィング・フランク王国ではローマ帝国の模造貨が発行されたが、六世紀にはビザンッ皇帝アナスタシウス、ユスティヌス一世、ユスティニアヌス一世、ユスティヌスニ世などの貨幣を模した金貨ソリドゥス(solidus)とその三分の一のトレミシス(tremissis)芭貨が鋳造された。五世紀末からマルセーユで発行された青銅貨はテウデリヒ一世、テオデベルト一世、テウデバルトの諸王によって鋳造が試みられたが、その後絶え、銀貨もクローヴィスの長子テオドリックからアウストラシァのジギベルト一世の時代まで鋳造されたのち発行を停止した。六世紀後半にジギベルト、グントラムによって王名を刻銘した金貨が発行されるとともに、多数の造幣人(moneta-rius)によって金貨が鋳造され、七〇〇年頃にアングロサクソン・フリースランド人のスケアタス(sceattas)貨やデナリウス(denarius)銀貨が流通し始めるまで、造幣人の鋳貨トレミシス貨ないしはトリエンス(triens)貨が主要な通貨として流通した。本稿では、造幣人の貨幣鋳造の盛期である七世紀を中心にトリエンス貨の鋳造とメロヴィング朝アウストラシァの流通経済および租税との関係を古銭学の成果にもとついて検討してみたい。
著者
堀内 一徳
出版者
奈良大学史学会
雑誌
奈良史学 (ISSN:02894874)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.112-126, 1992-12

マルク・ブロックによると、西欧ではカロリソグ時代以降、甲冑、槍、楯、剣で武装し騎馬で戦うエリートの戦士が存在し、十世紀頃に鐙が使用されると、長い槍がそれまでの短い槍に代り、また鼻当のちに面頬が加わり、さらに鎖帷子は皮か織物の綴合せの上に鉄の環や板を縫い合せて精巧となるが、このような武装は高価であり、富裕な人々のみが購うことができた。十二世紀には、騎士階級はその伝統をもたない家門の子弟を次第に排除し、以後社会の下層の者に対して門戸を閉し、十三世紀中頃から貴族身分を形成していったという。今日、騎士の起源が八世紀に遡るとか、また騎士が中世の貴族の起源であるという説は、大方のコソセソサスを得られない。しかしカロリソグ時代から十二世紀にかけての西欧の軍事技術の著しい進歩が、騎士階級ないしは身分の形成を促したことは間違いない。以下においてカロリソグ時代から一〇六六年のへースティソグズの戦までの期間に騎士が参加した主要な戦いにおけるかれらの戦術および武装について述べてみたい。