著者
増渕 覚 町田 友樹
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.75, no.9, pp.550-558, 2020-09-05 (Released:2020-11-18)
参考文献数
63

60年ほど前に「原子を一つずつ配置して思い通りの物質を作れば,これまで考えられなかったほど多くの物性を引き出すことができる」と述べたのはリチャード・ファインマン教授でした.江崎玲於奈博士は半導体超格子を提案し,分子線エピタキシーによって「ボトムアップでナノサイズの人工物質を作る」という概念を実証しました.物質を構成する原子や分子を自在に積み上げて組み合わせることができれば,これまで見られなかった新しい電子物性を有する物質を創り出すことができる――物性科学を志した研究者であれば,このような想いを心に描いたことがあるのではないでしょうか.近年になり,グラファイトをはじめとする様々な二次元結晶が,スコッチテープを用いた剥離法により単原子層まで薄層化できるようになりました.剥離された原子層は様々な手法によって機械的に貼り合わせることができ,原子層単位で界面が制御された人工構造――ファンデルワールスヘテロ構造――が作製できます.接合界面における格子整合が不要であることから,様々な材料同士の組み合わせが実現でき,波動関数の混成と電子間相互作用によって,多彩な電子物性が発現します.例えば,結晶方位角のズレをθ~1.06°に正確に制御して単層グラフェンを二枚重ねると,両者のバンドの交点においてフラットバンドが形成され超伝導が発現します.グラフェンと六方晶窒化ホウ素を結晶方位を合わせて重ね,磁場を印加すると「ホフスタッターの蝶」と呼ばれるフラクタル状のバンドが形成されます.構成要素として利用可能な二次元結晶は20種類以上存在し,ファンデルワールスヘテロ構造は無限の可能性を秘めていると期待されます.これまで電子物性研究に用いられてきた最高品質のファンデルワールスヘテロ構造は,二次元結晶を剥離して貼り合わせるという極めて原始的な手法により作製されてきました.高品質な母結晶を剥離することが,最も不純物の取り込みが少ない試料作製法だからです.原子層を壊さずに重ねるため,過去10年間にわたり様々な手法が開発されてきました.ファンデルワールスヘテロ構造を舞台として物性科学研究をさらに進めるためには,それぞれの手法の特徴を理解し,これらを上手く組み合わせていくことが重要です.さらに最近,ロボティクス・機械学習・深層学習を用い,研究者が手作業で行ってきたファンデルワールスヘテロ構造の作製工程を自動化し,これまで考えられなかった複雑な試料を作製する研究が始まりつつあります.研究は今後,興味深い物性を示す組み合わせをシステマチックに探索する形へ移行していくと考えられます.その先には,物質を構成する原子や分子を自在に積み上げて組み合わせ,様々な機能を持つ材料を自在に設計するという,多くの科学者が抱く究極の夢が広がっています.