5 0 0 0 OA 〔漱石書簡〕

著者
夏目漱石//〔著〕
出版者

夏目漱石の正岡子規宛葉書3通。収納する木箱の箱書は漱石の女婿の小説家松岡譲(1891-1969)の筆。このころ漱石は東京帝国大学文科大学英文学科、子規は国文学科に在学していた。明治25年6月19日消印の葉書で漱石は、子規に哲学の追試験を受けることを勧めているが、子規はこの時の学年試験に落第し退学した。漱石は26年7月に卒業、大学院に進んだ。また、26年3月31日の葉書で漱石が贈与の礼を述べている『俳諧』は子規主宰の雑誌で、3月24日に第1号を発行したが2号で終わった。なお、子規の俳諧革新運動の端緒となった「獺祭書屋俳話」は25年6月から新聞『日本』に連載され、11月には松山から迎えた母、妹と同居を始めている。
著者
夏目漱石//〔著〕
出版者

漱石は松山、ついで熊本からたびたび句稿を東京の子規に送り、批評を求めた。これは明治29年9月25日のもの。子規が朱で二重丸、丸を付し、時に添削、巻末に「子規妄圏」と記す。子規は翌30年3月7日の新聞『日本』掲載の「明治二十九年の俳句界(廿一)」に、二重丸を付した句の大部分(12句)を含む漱石の俳句多数を掲げ、その特色を論じている。なお、漱石は29年4月に熊本の第五高等学校に赴任、6月に中根鏡子と結婚した。本句稿にも「内君の病を看護して」の詞書をもつ句がある。