著者
多田 圭介
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.12, pp.1-29, 2012

本稿は,M.ハイデガー(1889-1976)の主著『存在と時間』(1927)の思想を,「ロゴス」という観点から捉えなおした全6章からなる論文の第1章である。全6章を貫く主題は,『存在と時間』の体系構想を,アリストテレスの『ニコマコス倫理学』第6巻における「魂のロゴスを持つ5つの部分」の解釈として読むことにある。この問題意識から『存在と時間』を解釈した先行研究としては,ヴォルピやキシールなど,複数が挙げられる。それらと本稿の立場を分かつポイントは以下である。まず第一には,『存在と時間』という書物の主導的目的を明らかにすること,第二には,その目的に鑑みて,1944年夏学期講義における「ロゴス論」までを,その目的を完遂するために『存在と時間』の立場を維持しようとしたものとして再検討することにある。それでは,『存在と時間』の主導的目的とは何か。一言で述べるなら,哲学的根本諸概念としての「ウーシア」の根底に「恒常的現前性」という時間様態を見出すこと,さらに,それを非本来的時熟に基づくものとして「解体」し,それを統べる本来的時間の動性を語ろうとしたこと。このように言えるだろう。以上が全6章の概要である。本稿では,その内の第1章として,上記の議論の遂行に礎石を据えるために,『存在と時間』の「方法論」を提示する。ことに,「方法節」とも呼ばれる『存在と時間』序論第7節を検討する。第7節では,「現象学」という概念が,「現象」と「学(ロゴス)」とに分けられ,その方法的役割から個別に定義される。本稿の主題が「ロゴス」であるがゆえに,「学(ロゴス)」が定義される第7節Bが中心となる。そこでハイデガーは,言表の「真」とそれに先行するアイステーシス・ノエーシスの「真」について語る。そしてその両者を現象学の「予備概念」にすぎないとし,その「真」と区別された現象学の「理念」を示唆している。第1章は,これらの事象連関を解きほぐし,第2章以下で,アリストテレスの『形而上学』第9巻第10章,および『ニコマコス倫理学』第6巻を視野に入れるための導入をする。