著者
猪野 毅
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.10, pp.161-185, 2010

小論は、山川九一郎著の『奇門遁甲千金書』という書を解読するために、まずその前提として「奇門遁甲」の基本的な概念や考え方について、まとめようと試みるものである。 『四庫全書総目』子部・術数類の中に収められている奇門遁甲に関係する文献には、『遁甲演義』二巻、『奇門遁甲賦』一巻、『黄帝奇門遁甲図』一巻、『奇門要略』一巻、『太乙遁甲専征賦』一巻、『遁甲吉方直指』一巻、『奇門説要』一巻、『太乙金鏡式経』十巻、『六壬大全』十二巻 。また、『古今図書集成』や『隋書』経籍志にも遁甲の書が見える。 「遁甲」なる言葉は、史書においては『後漢書』方術伝・高獲伝・趙彦伝に初めて見え、また『陳書』『魏書』『北斉書』『南史』などにも「遁甲」の名称が見える。日本でも『日本書紀』推古天皇十年(602)条に「遁甲」が伝来したことが見える。 『遁甲演義』・『奇門遁甲秘笈大全』などにより奇門遁甲の基本概念を考えると、甲を除いた乙・丙・丁を「三奇」とし、戊・己・庚・辰・壬・癸を「六儀」として、八卦の入った洛書九宮の枠に組み合わせ、その他、休、生、傷、杜、景、死、驚、開の「八門」、直符、螣蛇、太陰、六合、勾陳、朱雀、九地、九天の「八神」(あるいは太常を入れて「九神」)、また天蓬星・天任星・天冲星・天輔星・天英星・天芮星・天柱星・天心星・天禽星の「九星」を並べて「遁甲盤」を作り上げ、占う年月日時を六十干支で表し、「天の時」「地の利」「人の和」に基づいて占いを行う。その占い方には、洛書九宮の八枠を円盤に見立てて回転移動させる排宮法と、洛書九宮の数の順序通りに移動させる飛宮法があり、山川九一郎『奇門遁甲千金書』の占い方は排宮法を用いている。 遁甲盤を並べ終えたら、それぞれ九星・八門・八神(または九神)などの表す意味や、相互の影響を考えて、吉凶を判断する。 奇門遁甲は方位学(空間の学、洛書学)であり、干支学(時間の学、暦学)でもあるあるので、奇門遁甲は時間と空間を統合した学問と言える。さらに、空間を洛書に従って九つに分け、時間を六十干支に従って六十に分割し、独自の世界観を構築している。また、九神・九星が天、九宮が地、八門が人という、「天・地・人」をイメージした世界を構成している占術なのである。
著者
シリヌット クーチャルーンパイブーン
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.475-493, 2013-12-20

タイにおける学生運動は,言論の自由を含む1968年の憲法公布をきっかけ に,様々な動きが見られるようになった。本稿では,新聞記事の分析を通じ て,事例として取り上げた「反野口運動」と「日本製品不買運動」の背景や 関連を考察した上で,タイにおける学生運動の展開かつ運動の成否に関わっ た資源や運動に貢献した政治的機会の観点から考察を進める。 「野口キック・ボクシング・ジム事件」による「反野口運動」及び「日本製 品不買運動」は,いずれもタイにおける日本の経済侵略に対する不満や不安 感が高揚していた状況の中で起きたものである。「反野口運動」において,新 聞記事を分析した結果,「ムアイ・タイ」を「キック・ボクシング」と呼んで いることや野口のムアイ・タイに対する捉え方が,タイ人の怒りを招いた一 つの原因であると論じられる。また,「反野口運動」は,学生運動としての位 置付けはこれまでされていないが,学生が大きな役割を果たしていたとは言 える。 一方「日本製品不買運動」は,タイにおける初めての本格的な学生運動で あったと評価されている。運動を呼び起こした要因としては,日本のタイに 対する経済侵略への不安及び不満が挙げられるが,他にも当時の独裁政権に 対する不満が日本に転移して表現され,日本がスケープゴートにされたとい うことも考えられる。 両運動の関連については,「野口キック・ボクシング・ジム事件」は「日本 製品不買運動」を導く口火であったと言える。「野口キック・ボクシング・ジ ム事件」によって,運動のモジュールを獲得した新聞と学生は,同様のパター ンを用いて一個の国を攻撃対象とした大規模な「日本製品不買運動」を展開 することができたと考えることもできる。 運動の成否を決定する資源について,本稿では①良心的支持者による物資 的援助,②社会問題改善に対する意識を強く持つ大量の学生,③小規模の運 動によるにノウハウ,④タイ全国学生センターと学内における少数のセミ ナーグループといった学生ネットワーク,そして,⑤政治的機会の増加,と いった五つの資源が運動の成否に貢献したと論じる。
著者
増山 浩人
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.43-61, 2013-12-20

本稿では,18世紀ドイツにおけるライプニッツ受容とヒューム受容に関す る近年の研究動向を紹介する。その上で,いくつかの具体例を交えながら, これらの研究がカント批判哲学の哲学史的源泉を解明するために寄与しうる ことを示したい。そのために,1.では,いわゆるヴォルフ学派に関する近 年の研究動向を紹介する。1960年以降,ヴォルフ学派に関する研究が急速に 進められてきた。その原動力となったのが,Georg Olms社によるヴォルフ全 集の刊行である。この全集は,ヴォルフの著作の原典が収録された第一部, 第二部と,ヴォルフ哲学の関連資料が収録された第三部からなる。第三部に は,ヴォルフ以外の18世紀ドイツの哲学者の原典だけでなく,ヴォルフ哲学 の研究書や論文集,国際ヴォルフ協会の機関誌『ヴォルフィアーナ』なども 含まれている。このように,ヴォルフ全集の刊行は,ヴォルフの著作の原典 をはじめとする当時の一次文献のみならず,この分野に関する研究書や論文 集などの二次文献も提供することで,1960年以降の18世紀ドイツ哲学史研 究を牽引し続けてきたのである。2.では,1768年にデュタン版ライプニッ ツ全集が出版されたことが,当時のドイツにおけるライプニッツ哲学の普及 に大きく寄与したことを示す。その上で,ライプニッツとヴォルフ学派の哲 学を比較検討した近年の研究を紹介する。これらの研究の中でも,M.Casula の「予定調和説とライプニッツからA.G.バウムガルテンまでの予定調和説 の発展」は,ライプニッツ・ヴォルフ・バウムガルテンの三者の哲学の相違 点を明らかにした重要な論文である。そこで,2.の後半部では,Casulaの 論文の概説を行う。最後に,3.では,18世紀ドイツにおけるヒュームの著 作の独訳の出版状況を概観する。
著者
佐々木 香織
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.251-270, 2013-12-20

一般的に,言語変化は「誤用」「ことばの乱れ」として問題視され,正すべ きものであるとみなされることが多い。本研究は,規範から逸脱した語形を 単なる「乱れ」ではなく,日本語において現在進行中の言語変化の一端であ ると位置づけ,その現状や出現の理由を考察することで現代日本語の姿を明 らかにしようとするものである。 本稿ではそのような現在進行中の言語変化として,後部要素として動詞連 用形を持つ転成名詞が,再び動詞化する例を取り上げて論じる。名詞をその ままの形式で動詞化することを許さない日本語では,従来,名詞に軽動詞「す る」を付けるか,「-r」語幹を付けることで動詞化していた。しかし,「ひた走 り(に走る)」という名詞から形成された「ひた走る」という動詞が現在定着 していることを代表に,様々な名詞転成動詞が存在することを本稿では主張 する。ここでは,そのような名詞転成動詞の実例を国会会議録や新聞記事, ウェブサイトから収集し,前部要素と後部要素の関係性に基づいて分類した。 その上で,名詞転成動詞は前部要素が様態を表す語であり,後部要素に対し て修飾的にはたらくことを強く求めるということを示す。 名詞転成動詞が作りだされる話者の心的要因について本稿は,より負担の 少ない簡素な語形を好むという「経済性の原理」と,よりインパクトがあり 新規性のある面白い語形にしたいという「創造性の原理」の二つを紹介する。 どちらも話者の,日本語に対する内的規則が存在しなければ成立しないもの であり,単なる学習不足による間違いではなく,一種の言語変化であると主 張する。
著者
深山 洋平
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.31-46, 2012-12-26

ヘルマン(Geoffrey Hellman)は2003年の著作〝Does category theory provide a framework for mathematical structuralism?"(Hellman,2003)にお いて,マックレーン(Saunders Mac Lane)による数学の圏論的基礎付け(Mac Lane& Moerdijk,1992)とアウディ(Steve Awodey)の圏論を用いる構造 主義(Awodey,1996)を誤って結びつけた。彼がどのように誤ったかは,ア ウディの圏論を用いる構造主義の実際を見ることで理解できる。さらにアウ ディの構造主義に特徴的な「図式」の概念(Awodey,2004)に対してヘルマ ンは数学的真理の所在と射のみの立場の一貫性の観点から疑問を呈している (Hellman,2009)。前者の問いは図式の指示の観点から実際に問題であり,後 者の疑問は不適切な問題設定であると思われる。
著者
伊藤 佐紀
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.35-48, 2010-12-24

20世紀半ばから英米圏で興隆した分析美学は、「芸術とは何か」という問いを「芸術」概念の分析に主眼をおいた「あるものが芸術概念に適応されるための必要十分条件とは何か」という問いへと再定式化した。このような「芸術定義論」は現在も分析美学の中心的テーマの一つとされている。近年、スコットランドの美学者ベリス・ゴート(Berys Gaut)は、反本質主義を擁護する「芸術クラスター理論」を提唱した。ゴートは、「芸術は束概念であり、それゆえ定義することができない」と主張し、あるものが芸術概念に適応されるための条件として、複数の改訂可能な基準を選択的に結合させることによって芸術概念を特徴化する、選言的結合形式を持つ記述の束(the Cluster Account of Art : 以下CAAと略記)を提示する。こうした議論に対し、芸術概念の定義不可能性を主張する反本質主義擁護の立場に立ちながら、芸術であることの条件を挙示するゴートの主張は矛盾を包含しているという批判が集中した。本稿はこうした批判に対するゴートの応答を検討することによって、一見矛盾を包含するように思われるゴートの主張の目的を整合的にとらえるよう試み、理論の位置づけを明確化する。そのうえで、ゴートが提示したCAAの妥当性を検討する。まず芸術クラスター理論の前提と背景を確認し(第一節)、次いで基本的な概要(第二節)を確認する。さらに、ステッカーとデイヴィスによる「CAAは定義である」という批判を取り上げ、この批判にゴートがどのように応答しているか検討する(第三節)。ここでゴートがCAAは「高度に選言的で多様性に富む」定義であると譲歩しながらも、反本質主義者の立場に固執したゴートの意図を明確にするよう試みる。最後に、反本質主義を擁護しようとするゴートの主張は維持できず、CAAの妥当性は選言的定義として認められうることを示唆する(第四節)。
著者
猪野 毅
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.161-185, 2010-12-24

小論は、山川九一郎著の『奇門遁甲千金書』という書を解読するために、まずその前提として「奇門遁甲」の基本的な概念や考え方について、まとめようと試みるものである。 『四庫全書総目』子部・術数類の中に収められている奇門遁甲に関係する文献には、『遁甲演義』二巻、『奇門遁甲賦』一巻、『黄帝奇門遁甲図』一巻、『奇門要略』一巻、『太乙遁甲専征賦』一巻、『遁甲吉方直指』一巻、『奇門説要』一巻、『太乙金鏡式経』十巻、『六壬大全』十二巻 。また、『古今図書集成』や『隋書』経籍志にも遁甲の書が見える。 「遁甲」なる言葉は、史書においては『後漢書』方術伝・高獲伝・趙彦伝に初めて見え、また『陳書』『魏書』『北斉書』『南史』などにも「遁甲」の名称が見える。日本でも『日本書紀』推古天皇十年(602)条に「遁甲」が伝来したことが見える。 『遁甲演義』・『奇門遁甲秘笈大全』などにより奇門遁甲の基本概念を考えると、甲を除いた乙・丙・丁を「三奇」とし、戊・己・庚・辰・壬・癸を「六儀」として、八卦の入った洛書九宮の枠に組み合わせ、その他、休、生、傷、杜、景、死、驚、開の「八門」、直符、螣蛇、太陰、六合、勾陳、朱雀、九地、九天の「八神」(あるいは太常を入れて「九神」)、また天蓬星・天任星・天冲星・天輔星・天英星・天芮星・天柱星・天心星・天禽星の「九星」を並べて「遁甲盤」を作り上げ、占う年月日時を六十干支で表し、「天の時」「地の利」「人の和」に基づいて占いを行う。その占い方には、洛書九宮の八枠を円盤に見立てて回転移動させる排宮法と、洛書九宮の数の順序通りに移動させる飛宮法があり、山川九一郎『奇門遁甲千金書』の占い方は排宮法を用いている。 遁甲盤を並べ終えたら、それぞれ九星・八門・八神(または九神)などの表す意味や、相互の影響を考えて、吉凶を判断する。 奇門遁甲は方位学(空間の学、洛書学)であり、干支学(時間の学、暦学)でもあるあるので、奇門遁甲は時間と空間を統合した学問と言える。さらに、空間を洛書に従って九つに分け、時間を六十干支に従って六十に分割し、独自の世界観を構築している。また、九神・九星が天、九宮が地、八門が人という、「天・地・人」をイメージした世界を構成している占術なのである。
著者
周 菲菲
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.111-135, 2013-12-20

この論文は,観光研究におけるアクター・ネットワーク論的なアプローチ の必然性と可能性を探求する。まず,従来の観光研究における全体論的な視 点の欠如とモノについての考察の不足といった問題点を指摘する。観光地対 観光者という二分法や,イメージ論のような表象分析の枠では,観光実践の 複雑性を十分に研究することができない。ここで,関係の生成変化に注目し, 人やモノ等の断片的な諸要素を,諸関係を構成する対称的なアクターと見て, それらのアクターが織り成すネットワークの動態の過程を把握するアク ター・ネットワーク論に注目する。そして,観光におけるモノの物質性と場 所の多元性の存在を論証し,観光者のような特定のアクターが観光ネット ワークの中で他のアクター(地域イメージ,モノ等)を翻訳し,自らの実践 に導く様相を,先行研究に基づいてまとめる。さらに,中国人の北海道観光 を例として,アクター・ネットワーク論に基づき,個的実践の共有化の過程 と,地域イメージのブラックボックス化の過程をまとめた。最後に,観光研 究へのアクター・ネットワーク論的アプローチを,地域の複数性を提示する 研究として提示してみた。
著者
ウグル アルトゥン
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.67-84, 2012-12-26

日本は19世紀後半の開国以後,資本主義社会の一部となっていく過程にお いて,活発な情報収集活動が行われた。その一つとして当時のオスマン帝国 を訪れた記録も残されている。彼らが当時書いた自身の日記や紀行,新聞記 事,そして手紙でのやり取り等は今も数多く現存しており,これらが日本に おけるトルコに関する知識の基盤となったと推測される。よって,これらの 資料は日本とトルコの関係を検討する上で重要になると考えられる。 1911年にイスタンブールに留学に来た小林哲之助はトルコの政治的,軍事 的,外交上の事情を新聞や外務省にレポートを送るなどの形で伝え,日本に 於いてトルコに関する情報を創造する先行者の一人であった。小林が集めた 情報は当時のトルコの事情をあらゆる場面で取り上げる上でかなり重要だと 思われる。 外務省職員であった小林哲之助は,本国より奨学金を得てトルコに留学し た。彼は留学生という身分ながら,トルコ国内でその周辺諸国である東ヨー ロッパやバルカン半島の事情をレポートし,これらの情報は大阪朝日新聞の 鳥居素川と連絡を密にとりあった。鳥居素川の協力の下それらの情報を「ガ ラタ塔より」という書籍にてまとめている。その中には,小林哲之助がトル コに留学している間に勃発した伊土戦争,バルカン戦争や第一次世界大戦に ついての内容が詳細に記されており,当時の東ヨーロッパやバルカン半島の 様子を知る為にも貴重な資料だと言える。 本論文は二章で成り立てて,第一章では第一次世界大戦の前の日本とトル コの陥った状況や国際社会での一付けを考察する。こうやって歴史的背景を 構成しながら両国の世界システムにどのような影響を与えて,どういった役 割を果たしているかは論じる。 また,第二章では小林のトルコに関する観察を取り上げるとともに伊土戦 争から第一次世界大戦に至たるまでの時期を検討する。小林が書き残した書 籍「ガラタ塔より」,外務省のレポートや論文等を基に日本の外交官が見るト ルコのイメージと,このイメージの伝え方や伝達手段,トルコに於ける小林 の情報ネットワークに触れながら,小林の活動の目的や,日本のトルコ観に 与えた影響を取り上げる。
著者
矢板 晋
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.531-551, 2013-12-20

近年グローバル化する日本社会において,移民の子どもをめぐる教育問題 が顕在化している。そこでは,彼/彼女らが周辺化―不就学・不登校・学業 不達成―される実態がある。では,移民子弟はどのように周辺化されている のか。また,それはなぜか。さらに「日本の教育」は,どのような教育的公 正を実現すべきか。 筆者は2010年に栃木県真岡市で,2012年に同市と群馬県伊勢崎市で調査 を行った。調査対象は,真岡市の公立小中学校,国際交流協会,教育委員会, NPO法人「SAKU・ら」,伊勢崎市のNPO多言語教育研究所ICS(InternationalCommunitySchool) である。調査方法は主に半構造化面接調査と参与 観察である。 まず,周辺化の実態には大きく二つ考えられる。即ち,「親の周辺化」と「子 の周辺化」である。さらに,前者は「地域」「学校」において,後者は「学校」 「教育機会」「家庭」という空間で周辺化されている。 次に,周辺化の原因は大きく3つ考えられる。第一に,積極的ラベリング と消極的ラベリングというラベリング論からのアプローチである。第二に, 移民子弟や教員の使用言語をめぐる,言語コード論的アプローチだ。第三に, 就学段階における必須要素の欠如である。移民子弟の就学には,学校に「接 触」し,学校生活に「適応」,最後に「継続」して学校に通い続けるという3 段階が存在し,各段階で言語資本や社会関係資本などの不足がキーとなる。 最後に,移民子弟を考慮した教育的公正が必要である。「公正」とは,「平 等」の十分条件と解釈され,日本における多文化共生や多文化教育の重要な 概念である。移民子弟の教育的公正に関しては,各就学段階における公正を 実現すべきである。即ち「接触」段階では言語や文化的背景に着目した「象 徴的公正」,「適応」段階においては学習資源や人間関係を中心とする「資源 的公正」,「継続(移行)」段階では進級や進学制度における「制度的公正」の 達成が望まれる。
著者
魏力 米克拉依
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.29-50, 2011-12-26

本稿は,主に現代ウイグル語の漢語借用に見られる音韻現象を分析ものである。具体的な分析の対象は音の対応,母音脱落・融合,渡り音による再音節化などの現象であり,系統的な関連性がない両言語の間に起こる一定の音の対応及び音節構造を決定する要因について検討する。まず,背景となる漢 語借用の先行記述及び現状などから漢語借用語の典型的な音の対応を,次の5つにまとめる:1)複合母音の短縮;2)唇歯摩擦音の両唇閉鎖音化;3)漢語zi[ʦɿ] の母音同化;4)そり舌音の硬口音蓋化;5)破擦音の摩擦音化;次いで,現代ウイグル語の音韻特徴と音節構造を先行記述に基づき,借用語の音韻特徴を考えるとき,そもそも地域で話される借用元となる漢語方言を基盤として考えるべきことを示す。そして,日常的に定着している漢語からの借用データを基に,借用語の音韻構造について再検討を行う。音韻構造の中でも音の変化と音節構造に焦点を置く。そこで,結論として具体的には次のようなことを挙げる:1)母音連続を避けるため,母音脱落,半母音化などが起きる;2)唇歯音f[f]>両唇音p[p]>両唇音[
著者
秋月 準也
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.93-108, 2011-12-26

本論の目的はミハイル・ブルガーコフ作品にあらわれる1920年代から30年代の「住宅管理人」像の比較分析を通して,ブルガーコフの文学世界の一端を解き明かすことである。 ブルガーコフにとって「住宅管理人」は彼の文学を日常的主題である住居と強く結びつけると同時に,幻想世界への入口としての機能も果たすようなものであった。中編小説『犬の心臓』では,居住面積の調整をめぐってプレオブラジェンスキイ教授と激しく対立していた管理人シボンデルが,教授が 生み出してしまった人造人間シャリコフを積極的に援助し,彼に正式な身分証明書と教授宅に居住する権利を与える。つまり住宅管理人シボンデルの存在が,科学によって創造される人間という『フランケンシュタイン』から受けつがれる空想科学文学の代表的な主題を20年代のモスクワに組み込むこ とを可能にしている。 また喜劇『イヴァン・ヴァシーリエヴィチ』でブルガーコフは住宅管理人をH・G・ウェルズ的な時間旅行の世界の中に描いた。タイムマシンの実験による住宅管理人ブンシャとイヴァン雷帝の入れ替わりは,20世紀のモスクワのアパートと16世紀のクレムリンの対比であり,「管理」と「統治」の対比であった。この戯曲でブルガーコフはツァーリとなったにもかかわらずロシアをまったく統治することができない管理人ブンシャを通して,アパートの管理人という革命後に生まれた無数の権力者たちが,実際には総会(общее собрание)の方針や民警(милиция)の権威に従属した存在であることを明らかにしている。また他方では,アパートを支配したイヴァン雷帝を通して住宅管理人が絶対君主としてアパートを「統治」する危険性があることも同時に示したのである。
著者
山田 祥子
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.217-228, 2011-03-25

This paper aims to present two texts of the Northern Dialect of Uilta (one of the Tungusic languages, distributed on Sakhalin Island in Russia). The common theme of the texts is how to cook one of their traditional preserved foods named sulukta, which is made from boiled and crushed meat of fish. The first text (Chapter 1.3 in this paper) was told by Ms. Irina Jakovlevna Fedjaeva who was born in the village Val in 1940. The present author wrote the explanation in Uilta from her dictation in October 28th 2010 in Val, Sakhalin oblast. The second text (Chapter 2.3 in this paper) was told by Ms. Elena Alekseevna Bibikova who was born in a camping place Dagi in 1940. The present author recorded her oral explanation based on her own manuscript in Uilta in October 18th 2010 in Nogliki, Sakhalin oblast.
著者
趙 熠瑋
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.13, pp.339-358, 2013

荻生徂徠は江戸幕府最盛期に伊藤仁齋と竝される古學派の儒學者である。荻生徂徠については、これまで多くの研究が積み重ねられてきた。特に、丸山眞男の『日本政治思想史研究』は後の徂徠研究に多大な影響を與えた。丸山氏は徂徠の近代性を強調し、「朱子學的思惟式とその解體」、「徂徠學の政治性」、「徂徠學における公私の分裂」などを論點として捉えた。ほかに、平石直昭、子安宣邦、吉川幸次郎の各氏も々な角度から徂徠の反朱子學という點を論じた。しかし、吉川幸次郎氏が「徂徠學案」に示したように、徂徠の學術も人生も一定不變ではなく、幾つかの段階を踏んで所謂徂徠學が形成された。1714年、徂徠49歳の頃、『園隨筆』が刊行され、1717年、『辨名』、『辨道』、『學則』が刊行された。1718年、53歳の頃、徂徠の「四書」注釋の集大成作『論語徴』が完成した。これまでの研究によれば、徂徠は基本的に朱子學を批判する立場で自らの儒學論を展開した。果たして徂徠の學術人生は終始變わらなかったのであろうか。それとも、時期によって徂徠の考えにも變化があるのであろうか。本稿では、執筆時期を異にする徂徠の著作の吟味を通じて、徂徠學の中心的概念と思われる「道」について、時間經過を辿って證した。その結果、徂徠の反朱子學的な學説に變化の過程があったことが判明した。
著者
池田 誠
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.21-33, 2010-12-24

本稿では、ジョン・ロールズの『正義論』における功利主義批判のキーワード「人格の区分の重視(taking the distinction between persons seriously)」について考察する。ロールズによれば、功利主義やそれが提案する道徳原理である功利原理は現実の人々の「人格の区分」を重視しない。この批判は、功利主義は全体の功利の最大化のためなら平等や公正な分配を無視した政策でさえ支持するという政策・制度レベルの批判ではない。むしろこれは、功利主義は功利原理の各人への「正当化」および正当化理由のあり方に対し無頓着であるという、道徳理論・方法論レベルの批判である。ロールズによれば、功利主義は人格を、「不偏の観察者」という想像上の管理者によって快い経験や満足を配分されるのを待つ単なる平等な「容器」のようなものとみなす。だがロールズによれば、われわれの常識道徳は、人格を、自らに影響を与える行為・制度に対し、自らの観点から納得の行く正当化理由の提示を請求する権利を持つものとみなしている。この各人の独自の観点や正当化理由への請求権を認めること、これこそが「人格の区分」を重視することにほかならない。 以上の事柄を『正義論』での記述に即してまとめたのち、私は、アンソニー・ラディンによるこの批判の分析・論点整理(Laden 2004)に依拠し、ロールズ自身に向けられてきた「人格の区分の軽視」批判が、ロールズ正義論の全体を把握し損ね、近視眼的に眺めてしまうがゆえの誤りであることを示すとともに、ロールズの「人格の区分」批判の論点が功利主義の根底に潜む「非民主的」性格にあったことを明らかにする。その後、結論として、ラディンの分析に対する私なりの考えと異論を述べるとともに、ロールズ正義論が現代倫理学において持つ意義について触れたい。
著者
武石 智典
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.359-384, 2013-12-20

吉田松陰(1930~1959)は,江戸末期の長州藩士であり,思想家,教育者 として知られている。吉田松陰は明治から現代に至るまで人気が高く評価の 高低は別として,注目されてきた人物である。松陰に関する先行研究は,様々 な時代ごとの背景や世論に左右されてきた。松陰に対する評価は,昭和二十 年の八月十五日の敗戦以前と以後で大きく分けることができる。端的に言え ば,戦前の松陰像は「憂国の忠臣」であり,戦後は「人道主義の教育者」と して評価されてきた。つまり,松陰の多角的な事績から時代ごとの背景や世 論に合わせて松陰像が築かれてきた。戦前といっても明治,大正,昭和では 松陰像が異なる。また,戦前の松陰像に対する反動から新たな松陰像が築か れた。更に,研究者の基盤となる学問領域を軸としての松陰像を形成されて きたというのも戦後の松陰像の特徴である。更に,松陰の「草起論」に 対する解釈や「水戸学」との距離感,亦は「雄略論」における対外姿勢や松 陰の攘夷の定義といった先行研究においても解釈が分かれる問題がある。 本稿は,吉田松陰の忠誠観と対外認識及び政策に着目し,時代区分に沿っ て松陰の思想の変遷を明らかにするものである。また,先行研究で解釈が分 かれる「草起論」に対する解釈や「水戸学」との距離感,亦は「雄略論」 における対外姿勢や松陰の攘夷の定義といった問題に対して,新たな考察を 試みた。 結論として,松陰の忠誠は,最終的には天皇と朝廷,藩主と藩を分離し, 天皇―藩主―松陰(草)といった構造を築く。また,対外認識及び政策を 巡っては,松陰が攘夷を求めた理由は,松陰が,一貫して華夷秩序に則して 西洋列強を外夷と見なし,日本の独立を脅かす脅威として認識していたこと にある。また当初の近隣国に対し武力進出を主張した当初の「雄略論」から 後に交易により国を豊かにするとした「雄略論」へと変化していることを明 らかにした。