著者
大久保 恵子 小竹 佐知子
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.61, pp.105, 2009

目的 江戸後期史家頼山陽の母・頼梅颸没後の喪祭供え物献立にみられる食品の内容を検討した。方法 頼(らい)家に伝わる「梅颸御供」に使用された食品を皿ごとに分析し、また使用食品が贈答の場合の贈り主の状況について調査した。結果 献立冊子(頼山陽史跡資料館所蔵)は表紙に「朝夕奠御献立 上・中・下」と書かれた3分冊になっており、全部で52丁から成る。梅颸死去(1843(天保14)年)の2日後(発引=出棺の日)の12月11日から1月29日までの48日間の膳の献立が順番に綴じられており、資料の散逸・欠損などはみられなかった。発引の日は朝奠と夜祭奠の二膳のみであったが、それ以降は朝奠、午後奠(午奠)、夕奠の三膳が供えられた。朝奠は猪口、御汁、御平、御飯、御香物、御酒あるいは御湯の膳構成が主であった。午後奠には菓子と茶が供えられていた。また、夕奠は朝奠の膳にさらに御向詰、御肴が加わったものが主であった。食材料に畜鳥肉は用いられておらず、野菜類、根菜類、魚類、海草類、茸類が使われていた。この膳供物をおこなう時期は、ちょうど年中行事の年末および正月にあたっており、そのため、供物食品のなかには、雑煮(1/1-3)、七草粥(1/7)、小豆粥(1/15)などがみられた。午後奠の菓子は全部で33種(63個)が供えられており、このうちの17%が知人からの到来品であった。
著者
小林 史幸 小竹 佐知子 大久保 恵子
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.64, 2012

<b>目的:</b>南総里見八犬伝、椿説弓張月等の作者として知られる戯作者・曲亭馬琴(1767-1848年)は、身辺の出来事について詳細な日記をつけていた。その『曲亭馬琴日記』の天保2および3年(1831~32年)の2年間を対象とし、当時の食の状況を知ることを目的にして、特に菓子類について、その種類と用途に注目して文献調査をおこなった。<b>資料:</b>『曲亭馬琴日記』(中央公論社、2009)の天保2年と同3年の本文から菓子の記述を抜き出し、各種菓子の記録数および全体に対する記録数の割合を調べた。その際、種類別と用途別の2種類の方法で集計した。種類別の集計では1種類の菓子の記録1つにつき1回と数え、用途別の集計においては、1つの用途に必要とされる菓子の数を菓子の登場回数とした。また、砂糖については入手頻度と入手量からその使用状況を推測した。<b>結果:</b>日記に登場する菓子類を種類別にみると菓子、餅菓子といった大まかな分類の他、落雁、団子など個々の名称もあわせて25種類の菓子類に関する事柄が記録されていた(天保2年に143回、天保3年に162回の記録)。両年とも最も記録回数が多かったものは餅菓子(38回、55回)であり、正月準備に多種多様な餅を注文したものが多く見られた。次いで多かった砂糖(29回、36回)の場合は、白砂糖、黒砂糖の分類、分量等詳細に記録された日もあったが、砂糖を入手したということのみ記録された日もあった。用途では贈答、供え物、注文品記録、購入品記録等全部で20種に分類できた(169回、193回)。その中では貰い物が最も多く(68回、61回)、その送り主は大家にあたる人物、身内、友人、板元からの物が多数記録されていた。