- 著者
-
田村 隆
国武 貞克
大屋 道則
- 出版者
- 一般社団法人 日本考古学協会
- 雑誌
- 日本考古学 (ISSN:13408488)
- 巻号頁・発行日
- vol.13, no.22, pp.147-165, 2006-11-01 (Released:2009-02-16)
- 参考文献数
- 33
栃木県北部の矢板市等に所在する高原山は黒曜石産地として知られており,高原山産黒曜石は関東地方の旧石器時代の石器石材として多用されていることが分かってきている。関東平野部の遺跡出土のデータからは,高原山に旧石器時代の原産地遺跡の存在が予測されるものの,これまで旧石器時代の原産地遺跡については全く知られておらず,黒曜石原石の産出状況もまた明確でなかった。このため筆者らは,高原山中において黒曜石原石の産状と旧石器時代の原産地遺跡の探索を行ったところ,高原山山頂付近の主稜線上において,良質な黒曜石の分布を確認し,原石分布と重なるようにして立地する旧石器時代の大規模な遺跡群を発見した。遺跡の状態を確認したところ,主稜線直下の斜面上に遺物包含層が風雨で侵食されて露出している箇所が6箇所確認された。これらの地点からは明確に後期旧石器時代の石器が採取されている。細石刃核は関東平野部のものと同様に小口面から剥離されたものが多い。復元すると10cmを超える大型の石槍の未製品は,関東平野部で検出されているものよりも一回り大型のサイズのものも採取されており製作遺跡としての性格を表わしている。長さ5cm程度の小型の石槍も平野部のものと比べると加工も粗く幅や厚みなどのサイズも大きい。角錐状石器は平野部のものと比べると約2倍程度のサイズであり,切出し形のナイフ形石器はほぼ同程度のサイズである。他に掻器は平野部のものと比べると刃部再生が進んでいない。この他に台形石器や端部整形刃器も採取されている。したがってこの遺跡は後期旧石器時代の初頭から終末に至る全時期の黒曜石採取地点であった可能性が考えられる。高原山の基盤は黒曜石の産出層よりもはるかに古い新第三紀の地層から構成されるが,この基盤層の一部の火砕性堆積層中からは良質な火砕泥岩1)が産出し,これが関東地方各地の旧石器に多用されていることは,筆者らの調査で既に明らかにされている。関東地方東部とくに下野地域から房総半島に至る古鬼怒川沿いの地域の旧石器時代各時期の石器石材を検討すると,石刃製のナイフ形石器や石槍には,これら高原山に産出する火砕泥岩が主体的に利用されていることから,高原山は恒常的な回帰地点であったと推定されている。したがって高原山における黒曜石原産地遺跡は,単に黒曜石の採取地点という評価に止まらず,このような関東地方東部の領域形成の観点から評価されなくてはならない。今後行われる高原山黒曜石原産地遺跡群の発掘調査は,関東平野部の各消費遺跡から復元された居住行動モデルを検証し得るデータが得られるよう,厳密な調査戦略に基づいて実施される必要がある。