著者
鈴木 美保 五十嵐 彰 大沼 克彦 門脇 誠二 国武 貞克 砂田 佳弘 西秋 良宏 御堂島 正 山田 哲 吉田 政行
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.41, no.6, pp.471-484, 2002-12-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
36

本論では,剥片の製作痕跡から石器製作時に使用されたハンマー素材を推定する方法を,実験考古学的手法によって考察した.硬質の石,軟質の石,鹿角,木の4素材のハンマーを用いて,実験的に製作した剥片痕跡の諸属性を検討した結果,ハンマー素材の差は剥片の剥離開始部分の属性に特徴的に現れることが判明した.そして,それらの諸属性を組み合わせることで,各素材と相関性の高い5類型に区分をすることができた.また,各素材と剥離対象物である黒曜石のビッカース硬さ測定した結果,その類型区分はハンマー素材と剥離対象物とのビッカース硬さの関係に相関していることも明らかになった.さらに,南関東地方の後期旧石器時代の2遺跡出土の剥片群に対してハンマーの推定を試みたところ,いずれも軟質の石によって製作されたものである可能性が高いことがわかった.
著者
国武 貞克
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2001

旧石器時代の行動領域分析を行うために、主に石刃製の大形刺突具の石材を関東地方全体にわたって検討した。分析の方法は、2段階にわたっている。まず、関東地方北部から東北地方南部にかけての石器石材の産地の現地踏査を詳細に行った。前年度は栃木県北部の高原山周辺地域と会津盆地周縁地域で重要な石材産地を発見したが、今年度は新潟地域の珪質頁岩の調査を詳細に行った。その結果、従来判然としなかった信濃川流域の珪質頁岩の産地が判明した。これにより関東地方から東北地方南部の石器石材環境に関する基礎データが整備された。次に、後期旧石器時代初頭から後半期にかけて、9つの細分時期の資料を関東地方全体にわたって抽出し、その石刃石器に利用されている石材を調査した。関東地方全体の資料を対象としたが、主に東部関東の資料を中心に検討した。その石材を現地踏査による石材と照合して、主たる狩猟具を調達するための移動領域の範囲を検討した。その結果以下のような移動領域が判明した。東部関東に遺跡を残した集団の移動領域は、後期旧石器時代初頭には南北100キロメートル程度の比較的狭い範囲の往還領域が抽出された。具体的には、房総半島南部から宇都宮丘陵周辺を南北方向に往還移動していた。石刃生産が顕著に発達するIX層中部移行の時期になると、特定石材産地を結節するV字形の移動領域が成立している。具体的には利根川上流の三国山地と高原山周辺を両極端の石材産地に配置し、その中間に下総地域や下野地域を挟み込んだ領域が成立している。西武関東も特定石材産地を2〜3箇所結節した回廊領域が成立している。この回廊領域は、後期旧石器時代前半期を通じて維持され最終氷期まで継続している。この回廊領域が崩壊して新たな領域配置が見られるのが、後半期の両面体調整石器群の発生期である。この時期に、社会的な集団間の再編成が起きていると推定された。
著者
田村 隆 国武 貞克 大屋 道則
出版者
一般社団法人 日本考古学協会
雑誌
日本考古学 (ISSN:13408488)
巻号頁・発行日
vol.13, no.22, pp.147-165, 2006-11-01 (Released:2009-02-16)
参考文献数
33

栃木県北部の矢板市等に所在する高原山は黒曜石産地として知られており,高原山産黒曜石は関東地方の旧石器時代の石器石材として多用されていることが分かってきている。関東平野部の遺跡出土のデータからは,高原山に旧石器時代の原産地遺跡の存在が予測されるものの,これまで旧石器時代の原産地遺跡については全く知られておらず,黒曜石原石の産出状況もまた明確でなかった。このため筆者らは,高原山中において黒曜石原石の産状と旧石器時代の原産地遺跡の探索を行ったところ,高原山山頂付近の主稜線上において,良質な黒曜石の分布を確認し,原石分布と重なるようにして立地する旧石器時代の大規模な遺跡群を発見した。遺跡の状態を確認したところ,主稜線直下の斜面上に遺物包含層が風雨で侵食されて露出している箇所が6箇所確認された。これらの地点からは明確に後期旧石器時代の石器が採取されている。細石刃核は関東平野部のものと同様に小口面から剥離されたものが多い。復元すると10cmを超える大型の石槍の未製品は,関東平野部で検出されているものよりも一回り大型のサイズのものも採取されており製作遺跡としての性格を表わしている。長さ5cm程度の小型の石槍も平野部のものと比べると加工も粗く幅や厚みなどのサイズも大きい。角錐状石器は平野部のものと比べると約2倍程度のサイズであり,切出し形のナイフ形石器はほぼ同程度のサイズである。他に掻器は平野部のものと比べると刃部再生が進んでいない。この他に台形石器や端部整形刃器も採取されている。したがってこの遺跡は後期旧石器時代の初頭から終末に至る全時期の黒曜石採取地点であった可能性が考えられる。高原山の基盤は黒曜石の産出層よりもはるかに古い新第三紀の地層から構成されるが,この基盤層の一部の火砕性堆積層中からは良質な火砕泥岩1)が産出し,これが関東地方各地の旧石器に多用されていることは,筆者らの調査で既に明らかにされている。関東地方東部とくに下野地域から房総半島に至る古鬼怒川沿いの地域の旧石器時代各時期の石器石材を検討すると,石刃製のナイフ形石器や石槍には,これら高原山に産出する火砕泥岩が主体的に利用されていることから,高原山は恒常的な回帰地点であったと推定されている。したがって高原山における黒曜石原産地遺跡は,単に黒曜石の採取地点という評価に止まらず,このような関東地方東部の領域形成の観点から評価されなくてはならない。今後行われる高原山黒曜石原産地遺跡群の発掘調査は,関東平野部の各消費遺跡から復元された居住行動モデルを検証し得るデータが得られるよう,厳密な調査戦略に基づいて実施される必要がある。