著者
諫早 庸一 大貫 俊夫 四日市 康博 中塚 武 宇野 伸浩 西村 陽子
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2021-04-01

本研究は、「14世紀の危機」に焦点を当てるものである。「14世紀の危機」とは、「中世温暖期」から「小氷期」への移行期にあたる14世紀に起きたユーラシア規模での、1)気候変動、2)社会動乱、3)疫病流行、これら3つの複合要素から成り、ユーラシア史を不可逆的に転換させた「危機」を意味する。本研究では、気候の変動は人間社会にとって特に対応の難しい20年から70年ほどの周期で「危機」を最大化するという仮説に基づいて議論を進める。100年単位の生態系の長期遷移と、社会や気候の短期のリズムとのあいだにある中間時間を、気候データと文献データとの組み合わせによって危機のサイクルとして析出する。
著者
大貫 俊夫
出版者
法制史学会
雑誌
法制史研究 (ISSN:04412508)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.85-115,en7, 2013-03-30 (Released:2018-04-04)

シトー会修道院の保護形態は、かねてより中世史研究の中で最も重要な研究対象であり、とりわけドイツ語圏の歴史研究において頻繁に議論された。その礎を築いたのは法制史家のハンス・ヒルシュとテオドール・マイヤーである。彼らの研究成果は三つの観点から整理することができ、それらは後世の研究者に強い影響を与えた。しかし、これまでの領邦国家形成と結びついた議論には一定の論理の飛躍が見出される。シトー会士の庇護者は、自分のdefensio(庇護)の下にある修道院を、初めから自らのランデスヘルシャフトに引き入れるために保護したわけではない。というのも、領域的・制度的に安定した支配権は一四世紀になって初めて把握されるからである。そこで本稿は、これまで詳しく考察されてこなかった一二~一三世紀のシトー会修道院の保護形態を分析する。この問題に取り組むにあたり、題材としてトリーア大司教区内にある二つのシトー会修道院オルヴァル(Orval)及びヒメロート(Himmerod)を採り上げる。第一章ではオルヴァルとシニ伯、ヒメロートとトリーア大司教の法的関係を分析した。そこでは、トリーア大司教の司教裁治権を除き、法的関係について明確な規定は見出されなかった。それゆえ、シニ伯とトリーア大司教の庇護者としての排他的な地位は確認されない。それとは対照的に、そうした排他的な地位は第二章で分析した霊的関係から導かれる。シニ伯とトリーア大司教のみが、修道院から継続的に修道院内における埋葬と修道士による周年記念を享受していたのであった。第三章では、両シトー会修道院のフォークタイ問題が考察される。修道院創建から半世紀後、フォークタイは修道院と地元中小貴族の間に勃発する係争の主要因となった。シニ伯は一二二六年の家門断絶ゆえに、そしてトリーア大司教は一一八三~一一八九年のシスマゆえに効果的な保護が果たせなかったため、両修道院は庇護者の代替を求める必要があった。このことから、庇護という保護関係には脆弱性が備わっていたことが分かる。以上の分析に基づき強調されねばならないのは、シトー会士は自らの霊的な役割を実に的確に果たしていたということである。これによって彼らは、庇護を代行する諸権力の支援を獲得できた。シトー会修道院はこの霊的営為を駆使し、領邦君主のみならず、旧来のフォークタイ的支配の慣習から決別しきれていない中小領主層までもを庇護という画一的な法観念に巻き込んでいった。ここに、新しい修道運動が引き起こした国制的ダイナミズムが看取されよう。