- 著者
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姜 信龍
- 出版者
- 社団法人 日本造園学会
- 雑誌
- 造園雑誌 (ISSN:03877248)
- 巻号頁・発行日
- vol.56, no.5, pp.61-66, 1992-03-31 (Released:2011-07-19)
- 参考文献数
- 43
- 被引用文献数
-
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407年開設された釜山倭館は, 龍頭山を中心とした地域一帯に1677年4月に移館・新築された。この草梁倭館が日本専管居留地に開放され, この時すでに龍頭山上には彼らによって神社が営まれていた。総督政治になると, 神社参拝強要に代表される皇民化政策によって, 神社境内外は拡張され神域化されていく。神社と公園の併立といった考え方は変わり,「神社と公園の並立は不可」となった。そのためか, 神社創建と並行して造成された公園のすべてが, 特に都心に位置する公園としての機能を失い, 韓国人には嫌われるものとなった。公園内の神社建築の殆どが, 韓国独立と同時期に, 市民の手によって破壊されていったのは当然なことと言える。