- 著者
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姜 信龍
- 出版者
- 社団法人日本造園学会
- 雑誌
- 造園雑誌 (ISSN:03877248)
- 巻号頁・発行日
- vol.56, no.5, pp.61-66, 1993-03-24
- 被引用文献数
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1
1407年開設された釜山倭館は,龍頭山を中心とした地域一帯に1677年4月に移館・新築された。この草梁倭館が日本専管居留地に開放され,この時すでに龍頭山上には彼らによって神社が営まれていた。総督政治になると,神社参拝強要に代表される皇民化政策によって,神社境内外は拡張され神域化されていく。神社と公園の併立といった考え方は変わり,「神社と公園の並立は不可」となった。そのためか,神社創建と並行して造成された公園のすべてが,特に都心に位置する公園としての機能を失い,韓国人には嫌われるものとなった。公園内の神社建築の殆どが,韓国独立と同時期に,市民の手によって破壊されていったのは当然なことと言える。