著者
安 章浩
出版者
尚美学園大学
雑誌
尚美学園大学総合政策論集 (ISSN:13497049)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.57-94, 2016-06-30

西ドイツにおいて近代立憲主義を担保する権力分立、連邦制の他に、アメリカの違憲審査制を参考にして、独立かつ自立した憲法機関としての連邦憲法裁判所が創立された。それによって、近代立憲主義がドイツ史上初めて確立された。本稿では、敗戦後、占領軍の要請に基づいて憲法制定過程において同裁判所が設立された経緯を辿り、アメリカの憲法裁判所とは異なるその独特な性格を有するようになった歴史的事情を明らかにした。次に、同裁判所がアデナウアー保守連立政権に対してその「独立かつ自立した憲法機関」としての地位を確立していく政治過程を解明し、さらにそれが権威主義的で反民主的な政治文化に染まっている社会の自由主義化や民主化にいかに貢献したか、その主体的な条件を探った。さらに、同裁判所の出現によって、ワイマール共和国時代に憲法解釈の「神官の役割」を担ったドイツ国法学者と同裁判所の関係が変化し、両者の対立や、同裁判所の地位の確立と共に「憲法の優位」体制が確立された。それに伴い、国法学も変容を迫られ、国法学の中心的概念も近代立憲主義に適合する形で解釈替えされるに至った学界の状況をも合わせて解明した。