著者
安永 美保 中村 祐美 小坂部 悟美
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture of the Graduate School of Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
no.13, pp.53-70, 2013-03

『河海抄』は貞観元年 (1362年) 頃に四辻善成によって作られた『源氏物語』の注釈書であり、源氏学初期の集大成で、以後の注釈の規範的位置を示すものである。『河海抄』執筆の基本的姿勢は『源氏物語』を歴史の中に置き、いかにその文章や構想が歴史的事実に依拠したものであるかを詳細に説明している。特に、本報告で扱った「料簡」はその性格が強く、「いづれの御時にか」で繙かれる『源氏物語』の虚構世界を「醍醐・朱雀・村上天皇」の三代の御代に設定し、主人公光源氏の解釈も実在の歴史上の人物に依ることで、新たな『源氏物語』の読みを展開している。こういった視点は原典をより深く読むための手掛かりとなる。 そこで、本稿では同志社女子大学図書館蔵本を底本として、演習に参加した大学院生を中心に『河海抄』の翻刻と注釈を行った。今回の報告ではその中の「序」と「料簡」を掲載する。
著者
安永 美保
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学日本語日本文学 (ISSN:09155058)
巻号頁・発行日
no.22, pp.51-64, 2010-06

本論は『源氏物語』の「もろともに」に注目し、源氏の紫の上との一対願望を考察するキーワードとして論じたものである。 源氏の紫の上に向けた「もろともに」の中には、表面的な「共に・一緒に」といった意味だけでは説明できない源氏の心情を読み取ることができる。多数の恋人を持っていた源氏にとって特定の人物との一対性を考えることは困難に思えるが、源氏の「もろともに」の用例は紫の上に集中しており、源氏にとっての紫の上は唯一無二の存在であったと言える。 源氏は紫の上に「もろともに」を出会い・女三の宮降嫁・死といった二人の関係における三つの節目に使用しており、一見は二人の心が一つであることの指標であるかに思える。しかし、実際は「もろともに」が使用されるタイミングは源氏の心理的な空虚さによって左右され、「もろともに」という表現をそのままの意味で解釈することは危険である。 むしろ、源氏が紫の上に対して「もろともに」を使用しない時期に二人の心理的な一対性はあった。源氏は女三の宮を要因とした心理的空虚感から改めて紫の上との一対性を願うが、反対に紫の上側の女三の宮への心理的葛藤を露呈し、二人の関係に生じた不具合を確認する結果となった。この否定された「もろともに」は紫の上の死後にまで影響を及ぼし、残された源氏は「もろともに」を事実の歪曲の手段として使用し、最終的に幻巻の「もろともに」歌からみてとれるように、源氏は紫の上との虚構の一対を構築している。 『源氏物語』中の「もろともに」は、源氏と紫の上の複雑な人間関係を知る手がかりなのである。