著者
宮岡 真央子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.2, pp.266-283, 2016 (Released:2018-02-23)
参考文献数
53
被引用文献数
2

本稿の目的は、外来政権により脱植民地化が代行され、重層化する植民地経験を有する社会にお いて、記憶とコメモレイション(=記憶の共有化)をめぐって先住民が抱える困難について論じる ことである。台湾の先住民である原住民族が初めて日本の植民地主義と邂逅した歴史的事件〈牡丹 社事件〉をめぐる記憶の場では、多様な主体によるコメモレイションがおこなわれてきた。しかし、 原住民族であり事件の一方の当事者である牡丹郷パイワンは近年までここから排除され、彼らにつ いての暴力的・侮蔑的表現は一貫して不問に付されてきた。ゆえに牡丹郷パイワンは、自らの土地 に〈牡丹社事件〉をめぐる新たな記憶の場を創出し、従来抑圧・凍結・等閑視されてきた自らの記 憶と歴史認識を表現し、統治者が流布した牡丹郷パイワンについての固定観念を払拭しようとした。 牡丹郷パイワンによる〈牡丹社事件〉のコメモレイションの一部が文字という記憶の方法でおこな われたことの背後には、中華文明圏における文字の拘束性を看取できる。また、日本の植民地主義 に起源するモニュメントや制度の一部は、今日まで原住民族にとって民族と文化の絶滅の危機の原 点として意味をもち、克服すべき・乗り越えるべき対象としてとらえられている。原住民族による 新たな記憶の場の創出とコメモレイションの背景には、重層化した植民地経験を有する社会におい て、彼らが今日までマイノリティであり被支配的立場にあるという先住民としての現実が横たわる。 原住民族の記憶の抑圧・凍結・等閑視は、2つの外来権力と多数派の漢系住民によって近年まで続 けられてきた。記憶とコメモレイションをめぐるこのような困難は、外来政権が脱植民地化を代行 し、重層化した植民地経験を有する社会において、先住民が向き合うことを余儀なくされている問 題である。