著者
宮崎 千穂
出版者
名古屋大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2008

平成20年度より平成23年8月まで(途中、出産・育児による中断あり)の約3年間に亘る本研究では、医療・衛生の観点より「帝国」を捉えなおすことを目的とし、特に、ロシアから日本へと伝播された「検黴」(梅毒検査)を手がかりに、「性病」のあり方を考察してきた。最終年度である本年度(平成23年4月~8月)は、幕末の長崎で日本初の検黴を実施したロシア艦隊がその後、1890年代にいかなる「梅毒との闘い」を繰り広げたのか、ロシアにおいて収集した史料を分析することで明らかにし、その内容を論文としてまとめた。日本最初の検黴以後も、ロシア艦隊は継続して<長崎の梅毒>を憂慮しており、特に、<秘密売春(私娼)>目を向け、その取締りを長崎当局に要請していた。一方で、注目すべきことは、同時に、<売り手>である長崎の女性のみならず、<買い手>であるロシア水兵に対する管理も本格化していたことである。1890年代、ロシアでは梅毒蔓延対策をめぐり梅毒学者や医師などが参加する全国規模の大会が開催され、子孫の絶滅危機という梅毒を<国民病>とする語りによって農村での梅毒蔓延の危険性が訴えられた。その時、下級軍人(兵士)には<帝国全土への梅毒の散布者>というラベルが貼られ、罹患者の洗い出しのため、病に対する差恥心を捨てて病を自白し医師の治療を受ける必要性が教育されるとともに軍務生活中の自律が強く求められたのである。その際、下級軍人には、梅毒は都市の売春婦との性的関係により感染するものの、帰郷後の農村では性的関係以外の経路で家庭、子孫に感染させると教えられた。かような軍医による医学的語りは、<都市の性病>、<農村の生活習慣病>としての梅毒像を結んだのである。