著者
峰村 貴央 宮田 美里 三舟 隆之 西念 幸江
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.29, 2017

<b>【目的】 </b>奈良時代を含む5世紀の古墳時代以降は、甑を利用した「蒸す炊飯」が行われていた。しかし、文献史料の一つである「正倉院文書」に残る「食法」には、奈良時代の写経生に「粳米」を支給していたという記述がある。「粳米」は原則「蒸す炊飯」には適さないため疑問が残る点が多い。そこで、本研究では、様々な文献史料から炊飯方法とその料理を類推し、奈良時代の炊飯方法の検討と食事の復元を試みた。<br /><b>【方法】 </b>『延喜式』内膳司年料によると古代の洗米方法は、「磨二御飯一暴布袋一口〈長一丈〉、暴布巾卅六條」とあり、本研究では米をさらしで包み振り洗いをし、水切りをした。甑の代用として、直径26cmのアルミニウムの寸胴鍋にざるを裏返して入れ、その上にシリコーンゴムの蒸し板をフックで固定した加熱器具を作成した。その加熱器具に蒸留水を入れて沸騰後、さらしで包んだ米を蒸し板に置き、40分間強火で加熱した。また、蒸し加熱開始後10分、20分、30分に振り水をした。振り水の量は、3回の合計が米の重量の1.5倍量とした。炊飯には、寸胴鍋に蓋をした場合としない場合を用い、炊き上がり倍率、色、硬さ、炊き上がり状態の観察を行った。また、同じ『延喜式』に「洗盤十二口〈四口磨二御飯一料〉という記述があったため、飯を蒸留水で洗い同様に測定した。<br /><b>【結果】 </b>炊き上がり倍率は、「蓋あり、振り水あり」が1.8倍、「蓋なし、振り水あり」が1.2倍、「蓋あり、振り水なし」が1.3倍、「蓋なし、振り水なし」が1.2倍であった。「蓋あり、振り水あり」の試料の値が高かった。硬さは、有意差は認められないが、「蓋あり、振り水あり」が他の試料よりは軟らかい傾向にあった。飯を水洗いすると、重量がやや増加する傾向があった。
著者
峰村 貴央 宮田 美里 西念 幸江 三舟 隆之
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集 平成28年度大会(一社)日本調理科学会
巻号頁・発行日
pp.107, 2016 (Released:2016-08-28)

【目的】近年、平城京跡出土木簡や「正倉院文書」、平安時代の法典と知られる『延喜式』等によって古代の食品が判明するが、その調理法や食事、食膳風景はほとんど不明である。そこで本研究では、「正倉院文書」から東大寺写経所で一日一人当たりに支給されている食品名および量、さらに調理器具や食器を調べ調理法を検討し、古代の日常の食事の復元を試みた。 【方法】史料は、「正倉院文書」の天平宝字六年(762)十二月十六日「石山院奉写大般若経用度雑物帳」や『延喜式』等の古代史料とした。支給されている食品は、「粳米,塩,醤,末醤,酢,糟醤,海藻・滑海藻,布乃利・大凝菜・小凝菜,芥子,糯米,大豆・小豆,胡麻油,漬菜」であり、ナベなどの調理器具は古代と形状が比較的類似しているものを使用した。また、復元に使用する熱源は古代では薪だったが、ガスを用いた。 【結果】史料に見える支給された食品と調理器具、そして食器から復元をすると、1日の食事重量や食塩相当量が非常に多いことが推測された。推測した調理工程は、以下のようになった。①粳米は食品と共に甑が支給されており、それを用いて蒸したと推察された。しかし、浸漬の有無は文献や木簡に記載がないため、粳米は強飯のような調理工程であったと考えられる。②海藻類(海藻・滑海藻)は羹汁に調理されていたと思われる。③天草と布乃利は心太に調理されていたので、水と共に加熱後、ゲル化させた。④糯米は史料に「餅」という記述があるが、粳米と同様の調理工程では餅に加工ができないため、糯米を茹でた後にすりこぎで米粒を潰して餅にした。⑤大豆・小豆は、「大豆餅・小豆餅」という餅が存在したため、餅に混ぜ合わせた。