著者
富積 厚文
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.1, pp.25-50, 2010-06-30

本稿ではスピノザの思想における共同体の倫理学の基礎について考察する。議論の中心はスピノザとホッブズの比較である。両者は人間たちの敵対性を認める点で一致するが、それぞれの共同体論は発生的に大きく異なる。前者は絶対を対象的にではなく非対象的に見る思惟により展開される「喜び」の政治論であるが、後者は優れて世俗的な見解を提示する「恐怖」を主軸とした政治術である。一見すると二つの主張は対立しているが、スピノザの自然思想からすれば、ホッブズによって多分に人間的な事柄として抽出された自然における<他>と<自>の関係性は、もはや「一である」とも言表しえない「絶対に無限な有るもの(神)」において問い直される。その問いとは、人間たちの<出遭い>の機が「生の育成」に寄与しうるかどうかである。詮ずるにスピノザの思想における共同体の倫理学は、相対の世に絶対の神を示そうとする宗教論のうちに働く、現実のための学である。
著者
富積 厚文
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.87, no.1, pp.157-181, 2013-06-30 (Released:2017-07-14)

本稿は運命に対する人の態度を軸として、スピノザ(Brauch de Spinoza, 1632-1677)の存在論における必然性の問題について考察するものである。そのためにまず、九鬼周造の学説を手がかりとして「運命」の現れ方を検討し、それが人間精神のうちにその他の考えを容れる余地を与えぬほど容易には逃れえない強烈な「表象」を抱かしめる「原因」であることを示す。次に、ライプニッツの行った対スピノザ批判を考察することを通し、「運命」の二つの顔を明らかにするとともに、人間たちは「運命」を自由に判断することができないとするスピノザの主張を確認する。そして最後に、これまでの成果を踏まえた上で、<運命の受容>に関する問題を検討する。ここでは現実的存在の基礎解析と表象としての時間の解明がなされる。結論として、スピノザの思想にそって「運命」について考えて行くと必然的に神の「恩寵」の問題に逢着することが示される。
著者
富積 厚文
出版者
宗教哲学会
雑誌
宗教哲学研究 (ISSN:02897105)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.44-58, 2010 (Released:2019-09-18)

This paper considers the problem of life and death in Spinoza’s thought. It seems to me that a topic of suicide helps to elucidate this problem. Spinoza states that suicide is caused by external causes. But based on our common sense, it is the outcome of an action that is decided by a person’s will. Unlike accidents, the person who committed it must have known its result beforehand. In other words, suicide is the result of human free will, and caused by internal causes. Then how should we understand this difference between Spinoza’s insistence and the common opinion? To answer this question, at first, we consider the self in Spinoza’s metaphysics. Secondly, the way in which Spinoza explains an act performed by the self is discussed. Finally, we inquire how Spinoza understands “the meaning of living.” These examinations will shed light on one of the most important features in Spinoza’s thinking. That is to say, the conversion of self-consciousness means that “the self who searched for any meaning of his/her own life” changes itself and realizes what God who is the life itself wishes for the self.” This is a conclusion in this paper, however, which seems to me insufficient for a person who actually desires death. Further careful argument will be required for a solution of this problem.
著者
富積 厚文
出版者
宗教哲学会
雑誌
宗教哲学研究 (ISSN:02897105)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.80-93, 2014-03-31 (Released:2019-08-08)

This paper considers on human right according to Spinoza’s theory of individual thing. For that reason, mainly from two sides of Spinoza’s ontology and epistemology, we examine this problem. In the first place, to make clear the meanings of ‘individual thing’ and ‘particular thing’, we validate Spinoza’s argument. Herewith, it is revealed that individual thing expresses individual providence and universal providence that originated in ‘God or Nature’. Based on this logic, Spinoza defines right as follows; “By natural right I understand the very laws or rules of nature, in accordance with which everything takes place, in other words, the power of nature itself”. In the second place, after having confirmed Grotius’s theory of right which Spinoza depended on, we consider the activity that human beings take cognisance of their own rights. The activity called intuition is investigated here. Then finally, with the above-mentioned results, we examine the problem of human right from anthropological aspect. It is basic analysis of possession and emotion. In conclusion, considering human right along Spinoza’s theory of individual thing, the following can be said; the human beings try to affirm their own life with conatus that is their own nature, in company with others who have it as their own nature in the same way.
著者
富積 厚文
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.93-117, 2008-06-30 (Released:2017-07-14)

本稿ではスピノザ(Baruch de Spinoza,1632-1677)におけるスピノザの信仰理解について考察する。スピノザによれば、信仰とは啓示的認識においてのみ問題となる事柄であり、またそれは「神に従順であること」を意味する。そして彼は『神学・政治論』において信仰と行いが循環の関係にあることを主張する。つまり行いを成立させているのは信仰であるが、信仰は行いを媒介とすることによってのみ証しされる。スピノザに従えば、この信仰と行いの循環の関係は、或る人間が救済を得るためには、その人間によって、絶えず新たに産み出されなければならないことである。人間たちがその循環を生きるための起動力こそ、「自己で有り続けようとする努力」であるコーナートゥスに他ならない。またスピノザが提示する信仰の根拠は人間たちに対する神の愛であり、その対象は神である。要するに信仰を証示するための行いの根源は、神に由来するコーナートウスである。
著者
富積 厚文
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.93-117, 2008

本稿ではスピノザ(Baruch de Spinoza,1632-1677)におけるスピノザの信仰理解について考察する。スピノザによれば、信仰とは啓示的認識においてのみ問題となる事柄であり、またそれは「神に従順であること」を意味する。そして彼は『神学・政治論』において信仰と行いが循環の関係にあることを主張する。つまり行いを成立させているのは信仰であるが、信仰は行いを媒介とすることによってのみ証しされる。スピノザに従えば、この信仰と行いの循環の関係は、或る人間が救済を得るためには、その人間によって、絶えず新たに産み出されなければならないことである。人間たちがその循環を生きるための起動力こそ、「自己で有り続けようとする努力」であるコーナートゥスに他ならない。またスピノザが提示する信仰の根拠は人間たちに対する神の愛であり、その対象は神である。要するに信仰を証示するための行いの根源は、神に由来するコーナートウスである。