著者
寺山 千紗都
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.12, pp.1-16, 2012

長きに渡り法によって隔離の対象とされ、偏見と差別に晒された歴史を持つハンセン病という病が殺人の動機として焦点化される『砂の器』は、同時代の推理小説を「社会派」一色にした松本清張を代表する長編作品である。社会派とは、推理小説におけるリアリズムや社会に対する問題提起性を重要視した清張の発言と作風に影響を受けた作品の一群のことであり、その社会派推理小説の金字塔とも呼ばれるこの作品は、日本の社会に現存していた疾病差別の実態を明らかにしているとして、現在も高く評価されている。しかし、推理小説における〞解決〝という点に着目してこの作品を見直してみると、作品の最後で明かされる推理には、真である保証も論理性も欠落していることが明らかになる。動機の保持者がすなわち犯人と名指されるこの作品は、推理された動機が、殺人という行動を起こすに足ると読者が認めるという行動を通して読者自身が〞解決〝する推理小説、と考えることもできるが、このような『砂の器』の推理小説としての〞特徴〝は、ハンセン病に対する「差別」を読者の内に構成するという仕掛けとして機能する可能性を浮上させる。感染力も微弱であり、戦後すぐの時点で日本でも外来治療が可能と医学的に認められていたハンセン病に対し、日本は、『砂の器』の連載が開始された一九六〇年になっても、依然隔離と優生手術の必要が明記された「らい予防法」が保持し続けており、世界から批判の対象となっていた。マスコミも隔離を支持していたという当時の日本にあって、読売新聞という全国紙でハンセン病による悲劇を綴った清張の功績は大きい。しかし、ハンセン病を殺人の動機として推理小説の構造に組み込んでしまったことで、さらに、その推理小説の解決を読者に委ねてしまったことで、『砂の器』はどのような事態を読者に呼び起こし得るのか。ハンセン病に対する「差別」の歴史と合わせながら、この作品がもたらした効果の二面性について考察を行った。