- 著者
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寿台 順誠
- 出版者
- 日本生命倫理学会
- 雑誌
- 生命倫理
- 巻号頁・発行日
- vol.24, no.1, pp.116-125, 2014
「リビングウィル」や「事前指示」といった、今日の「死と死にゆく過程」をめぐる言説は、「自律」原則の下にあって、死に関して「自己決定」を迫るものが多い。しかし、終末期において最も重要なことは、本当に「自分らしい」死に方を決めることであろうか。本論文で筆者は、それよりもっと重要なのは、死にゆく者と看取る者の間の「共苦」であると主張する。以下まず、アメリカにおける関連する裁判や立法を検討しているロイス・シェパードの議論を紹介して、「自律から苦悩へ」という考え方の転換の意義を確認し、次に、日本における「安楽死・尊厳死」裁判を再検討して、そこでは患者よりもむしろ「家族の苦悩」への同情が判断の決定的要因であったことを確かめる。しかし日本でも最近の裁判では、患者の自己決定権を根拠に安楽死問題の医療化と法化が進行しており、次第に事件の場面から「家族」が姿を消しつつある。そこで最後に筆者は、死にゆく者と看取る者(家族等)が苦悩を共にする「共苦の親密圈」を再構築することが重要であると結論づける。