著者
服部 志帆 小泉 都
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.36, pp.25, 2020

<p>日本の霊長類学の創始者のひとりである川村俊蔵博士(1927~2003年)は、伊谷純一郎博士とともに 1952年と1953年に屋久島で調査地開拓のために予備調査を行った。合計43日の間、合計36人(猟師26人)に聞き取り調査を行った。西部に位置する永田の猟師や屋久島全域に詳しい安房の猟師などを対象に、サル、シカ、狩猟法、狩猟域、利用法、伝承、地名など多岐にわたる情報を聞き取っている。これらの情報は野帳8冊と日記1冊に記載されており、5万6千字をこえる。 本発表では、猟師から得た情報のなかでも最も充実しているヤクシマザルに関するものを取り上げ、1950年代の屋久島において猟師がサルとどのような関わりを持っていたのか、またサルが猟師にとってどのように重要であったのかを明らかにすることを目的とする。 方法は、2013年から解読している川村博士の野帳の情報を分析することであり、川村博士が1950年代に聞き取りを行った猟師の子孫から補足情報を得た。 分析の結果、当時の猟師は個人差があるものの、群れのサイズ、行動域、食性、交尾行動、群れ内外の関係、ソリタリー、猿害などサルに関する広範な知識を持っていることが明らかとなった。また、永田の猟師はそれぞれの狩猟域で牢屋罠という箱型の罠を用いてサルの狩猟を行っていたことや、サルのことをアンちゃん、ヨモ、山の大将、旦那、モンキーさんなどと呼び、頭や胆を薬として利用するという民俗知識を持っていたことがわかった。このような豊かなサルとの関わりは、島外の研究所や動物園からの生きたままのサルに対する高い需要にも影響を受けていたと考えられる。</p>