著者
服部 志帆
出版者
Japan Association for African Studies
雑誌
アフリカ研究 (ISSN:00654140)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.71, pp.21-40, 2007-12-31 (Released:2010-07-01)
参考文献数
46
被引用文献数
1 1

本稿の目的は, カメルーン東南部に暮らす狩猟採集民バカの植物知識を事例にこれまで均質的なものとして扱われることが多かった「民俗知識」の個人差に注目することによって,「民俗知識」の特性を検討し, 伝統社会に暮らす人々が自然との間に結ぶ具体的な関係の一形態を提示することである。植物名や利用法ごとに人々の知識の共有度を比較した結果, 成人後期のバカの間では植物名や食用, 建材・物質文化に関する知識の多くが共有されていたが, 薬に関する知識の多くは共有されていないことが明らかになった。また, バカは薬の知識を本人やその子供などが病気になった際に, おもに両親や兄弟から教わっており, 薬の知識には本人やその近親の病歴が反映されていることが示唆された。植物名の共有度の高さは, バカの生活や文化における植物の重要性と社会生活を行う際に植物名を共有する必要性の高さを反映していると考えられる。食用植物や建材・物質文化に関する知識が共有されやすい理由は, 味や材質形態などといった植物の素材がバカの間で共通した評価を得やすいことと, これらに利用される植物が食物分配や道具類の共有などの社会生活において頻繁に利用されるため知識を共有する機会が多いことが考えられる。一方, 薬に関する知識が共有されにくいのは, 植物の素材が薬効として共通した評価を得がたいことと, 薬の利用がおもに家族内に限られるため社会生活において薬を共有する機会が少ないからだと考えられる。このように「民俗知識」の個人差は, 植物の素材に対する個人の評価と文化として知識を共有する機会の多寡が影響していることが考えられる。
著者
服部 志帆
出版者
天理大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究では、屋久島の狩猟活動の変遷を具体的に明らかにし、今後の展望を開きたい。まず、狩猟活動の変遷を、島外からの政治経済的な需要や島内からの文化的な需要の影響をふまえながら分析する。次に、2010年ごろから猟師のあいだで深刻化しつつあるコンフリクトや、近年若い世代の猟師が開始したジビエ販売やお土産物の商品化、非営利のジビエレストランの運営、屋久犬の保存会といった新たな動きを明らかにする。そして、環境政策やジビエブームなどと併存しながら、屋久島の人々が世界遺産と狩猟文化を維持していけるような方策を検討する。
著者
服部 志帆 小泉 都
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.36, pp.25, 2020

<p>日本の霊長類学の創始者のひとりである川村俊蔵博士(1927~2003年)は、伊谷純一郎博士とともに 1952年と1953年に屋久島で調査地開拓のために予備調査を行った。合計43日の間、合計36人(猟師26人)に聞き取り調査を行った。西部に位置する永田の猟師や屋久島全域に詳しい安房の猟師などを対象に、サル、シカ、狩猟法、狩猟域、利用法、伝承、地名など多岐にわたる情報を聞き取っている。これらの情報は野帳8冊と日記1冊に記載されており、5万6千字をこえる。 本発表では、猟師から得た情報のなかでも最も充実しているヤクシマザルに関するものを取り上げ、1950年代の屋久島において猟師がサルとどのような関わりを持っていたのか、またサルが猟師にとってどのように重要であったのかを明らかにすることを目的とする。 方法は、2013年から解読している川村博士の野帳の情報を分析することであり、川村博士が1950年代に聞き取りを行った猟師の子孫から補足情報を得た。 分析の結果、当時の猟師は個人差があるものの、群れのサイズ、行動域、食性、交尾行動、群れ内外の関係、ソリタリー、猿害などサルに関する広範な知識を持っていることが明らかとなった。また、永田の猟師はそれぞれの狩猟域で牢屋罠という箱型の罠を用いてサルの狩猟を行っていたことや、サルのことをアンちゃん、ヨモ、山の大将、旦那、モンキーさんなどと呼び、頭や胆を薬として利用するという民俗知識を持っていたことがわかった。このような豊かなサルとの関わりは、島外の研究所や動物園からの生きたままのサルに対する高い需要にも影響を受けていたと考えられる。</p>