- 著者
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小野木 重勝
- 出版者
- 一般社団法人日本建築学会
- 雑誌
- 日本建築学会論文報告集 (ISSN:03871185)
- 巻号頁・発行日
- no.196, pp.73-81, 95, 1972-06-30
有栖川宮邸は, 有栖川宮二品仁熾親王の殿邸であり, 明治4年以来殿邸にあてられていた芝浜崎町二番地の同宮邸が, 皇太后宮の御避難所にあてられることになったため, 明治8年7月に麹町区霞ケ関一丁目二番地の副島種臣邸1万1千93坪を買上げ, 同年8月28日に移転された。しかし, 既存建物が老朽化していたため, 明治13年より殿邸の改築が企てられ, 工部省営繕局の担当で工事が実施され, そのうちの洋館はコンドルの設計によるもので明治17年7月に竣工している。同年4月より宮内省内匠課の担当で着手した庭園工事は, 翌18年6月に完成し, 有栖川宮邸としての体裁を完全にととのえることになる。「コンドル博士遺作集」は「荘重なる復興式となし, 内部諸室の意匠も都て此方針に拠れり。本建物は蓋し皇族の御殿を純洋風に造りたる嚆矢にして, 永く後の模範となりたり」と伝えている。明治29年になって, 邸地が宮内省に買上げられ, さらに31年には建物など一切が買上げられ, 37年2月8日に宮家から引渡しがあり, 2月13日付で霞関離宮となったもので, 大正10年より同12年まで東宮仮御所となり, また, 大正13年より昭和12年まで日本館が, 帝室林野局庁舎として使用されたこともあった。