著者
小野瀬 裕子 草野 篤子
出版者
The Japan Society of Home Economics
雑誌
日本家政学会誌 (ISSN:09135227)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.123-133, 2001-02-15 (Released:2010-03-10)
参考文献数
22

本研究ではアメリカ合衆国が主導権を握っていたGHQの憲法草案作成の背景を整理した.日本と同じ第二次世界大戦で敗戦国となったドイツとイタリアの新憲法では, ベアテ草案の「男女平等」と「教育の機会の平等」はどの様に条文化されているか比較して考察を加えることで, ベアテ草案の特徴を明確にした.その結果を以下にまとめる.(1) GHQ草案の作成に至る経緯GHQ最高司令官のマッカーサー元帥 (アメリカ合衆国) は, 憲法改正について当初は日本側が自主的に検討すべき問題であると捉えていたが, 日本政府の草案が保守的で, 大日本帝国憲法の表面的変更にとどまるものであることを知り, また, 極東委員会が対日管理を1946年2月26日からFECに移行することを決定したことから, GHQはこれに先立って憲法を改正するためにモデル憲法を準備し提供することが効果的だと考えた.(2) 第二次世界大戦敗戦国の新憲法との対比戦後のドイツとイタリアの新憲法には, ベアテが起草しGHQによって削除された「母性保護」「非嫡出子差別禁止」「労働における男女平等」と同様の条文を見いだすことができた.ベアテ草案にあり, 3力国の憲法にはない内容として「家庭における男女平等」のなかに「個人の尊厳」という言葉がはいっていたことをあげることができた.ベアテが戦前の日本の家制度を否定し, その意味を明確にするために入れた注目すべき言葉であったといえる.(3) アメリカ合衆国憲法における家族の扱いと男女平等の実現のための憲法修正に対する動向日本はGHQ占領下において, 最高司令官マッカーサーによりアメリカ合衆国を介して間接統治されていた.アメリカ合衆国憲法では, 「家族」に関しては, プライヴァシーの範疇であると考え, 憲法に条文として規定することはなかったこと, 詳細な社会権の規定は憲法の下位規範である法律に委ねられていたこと, アメリカ本土で当時, 女性組織が女性保護法と対立するものと考えて男女平等のための憲法修正に反対していた事実がある.一方, ベアテ草案第6条「性別における差別の禁止」, ベアテ草案第18条「家庭における男女平等」は日本国憲法に残った条文であるが, アメリカ合衆国憲法にはなく, 本土よりも1歩進んだ条文であったということができる.(4) ベアテ草案削除に関してベアテ草案の「家族における男女平等」は残ったものの, その他の「家族」に関する条文や「労働における男女平等」などの条文の多くがGHQによって削除された理由として, 日本の歴史的背景が大きく関係していると考えられる.また, GHQの主導権を握っていたアメリカ合衆国憲法での状況として, 「男女平等」や「家族」に関するベアテ起草と同じ内容の社会権が, 憲法に条文として導入されることはなかった事実があることがわかった.
著者
草野 篤子 中西 央 小野瀬 裕子
出版者
The Japan Society of Home Economics
雑誌
日本家政学会誌 (ISSN:09135227)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.5-14, 2000-01-15 (Released:2010-03-10)
参考文献数
15

日本国憲法第3章人権条項のうち, 「男女平等」と「教育の機会の平等」を中心としたベアテ草案作成の背景を考察し, ベアテ草案の先進性と限界を見いだした.その結果を以下にまとめる.(1) ベアテ草案作成の状況ベアテは, 語学力を駆使し, 諸外国憲法を参考に引用しながら, 女性の権利, 教育の平等, 労働者の権利等, 「女性と子どもが幸せになるため」の条文を作成した.(2) ベアテの経歴と起草条項の淵源ベアテが起草した, 民主的な近代家族の生成に寄与した女性の権利保障と教育の自由が明文化された条文の淵源として, (1) 母親からの影響, (2) 10年問の在日経験, (3) 米国ミルズ大学での教育, (4) 被抑圧民族であるユダヤ人として受けた差別, (5) 被抑圧ジェンダーである女性として受けた差別の5点を見いだせた.ベアテはこの時弱冠22歳であったが, さまざまな社会や文化に対してグローバルな視野を持ち, 博識であった.(3) 憲法研究会草案との対比日本の民間草案は約12あったが, 国民に目を向けていち早く発表された憲法研究会草案は注目に値する.新たに規定されるべき国民の権利義務として, 「言論学術芸術の自由」「労働の義務」「労働に対する報酬の権利」「休息権」「老年疾病の際の生活保障」「男女平等の権利」「民族人種差別の禁止」をあげている.模範とした諸外国憲法は, 憲法研究会草案を知らないベアテが模範にした憲法と同じであった.ベアテと憲法研究会が参考にした憲法の条文を表1に示した.ベアテ草案と憲法研究会との条文の共通性を表2に示した.憲法研究会草案はGHQ上級職員から高く評価され, その意識の中には取り入れられていたと考えられた.(4) ベアテ草案の先進性および限界ベアテ草案 (GHQ第一次案) の先進的な部分と限界の双方の指摘を試みた.先進的部分として3点あげることができた.第一に, 家庭における男女の平等を規定した第18条, 長子相続の廃止を規定した第20条では, 「家」制度を廃止するだけでなく, 民主的な近代家族の実現を図るために, 家族という私的領域におよんで法的規定を行ったこと.第二に, マッカーサー草案としては最終的に削除されたが, 第19条の母性保護と非嫡出子差別の禁止, 第26条の男女同一価値労働同一賃金は, 後に法制化の課題として残ったこと.第三に, 第21条, 第24条, 第25条で「児童」の権利をとりあげ, この時代に子どもを「保護の客体」ではなく「権利の主体者」としてとらえた起草を行っていることである.次にベアテの限界として2点指摘できた.第一に, 第25条に高齢年金の保障を掲げているものの, ベアテ自身も指摘しているように, 老人社会福祉に関する条項がないこと.第二に, 住居の選択はあるものの, 居住権等の居住の権利に関する条項がないことをあげることができた.
著者
中西 央 小野瀬 裕子 草野 篤子
出版者
The Japan Society of Home Economics
雑誌
日本家政学会誌 (ISSN:09135227)
巻号頁・発行日
vol.49, no.11, pp.1185-1198, 1998-11-15 (Released:2010-03-10)
参考文献数
17

第3章人権条項のうち「男女平等」と「教育の機会の平等」を中心にベアテが第一次案として起草した条項の生成過程を考察してきた結果を以下にまとめる.(1) GHQ内における草案の作成第一次案の作成を担当することになったベアテは, 10年に及ぶ在日経験から憲法で女性の権利を明確にしておく必要性を認知していた.具体的には, 以下の内容を起草している.「法の下の平等」「家庭における男女平等」「家制度の廃止」「母性保護」「既婚・未婚の差別禁止」「嫡出子・非嫡出子の差別禁止」「長子相続権の廃止」「教育の機会の平等」「児童への無償医療制度」「学齢期の児童及び青少年の常勤的雇用禁止」「男女雇用機会均等」「男女同一価値労働同一賃金」「社会保障制度 (生活保護) 」「著作・特許権」等である.その後, 簡潔・原則主義のGHQ内での検討・修正によって, 多くの条項が削除・統括される.ただし, 「法の下の平等」「家庭における男女平等」だけはほぼそのままの形で残り, その他「教育の機会の平等」「社会保障」「勤労の条件に関する基準の設置」が残る.しかし, 削除された中には, 後に法制化の課題として残ったものもあり, ベアテの先進性がわかる.(2) マッカーサー草案から日本国憲法に至るまで次にGHQと日本政府の折衝の結果, 修正が行われた.「家庭における男女平等」について日本側は抵抗を示したが, 通訳としてよく働き好感をもっていたベアテの起草と聞き, 残すことになる.ここにベアテが同席していたことは重要であった.帝国議会では, 「個人の尊厳」に基づく人権意識は希薄で, 議員の多くは戸主権の廃止に危惧感を示した.ベアテが起草していたものと同じ「母性保護」規定を求める提案があったが却下されている.(3) 日本国憲法制定に伴う動きと現在日本国憲法が制定され, その24条が, 個人の尊厳と両性の本質的平等に基づく婚姻を家族の出発点としたことで, 「家」制度を規定していた明治民法, 刑法の規定が改正された.今なお残る課題の中で, 「非嫡出子の差別の禁止」「男女同一価値労働同一賃金の原則」については, ベアテがGHQ第一次案で起草しカットされた条文と重なり, ベアテの先進性がわかる.(4) 第3章人権条項の推移GHQ第一次案として起草された第3章人権条項が, どのように修正され, 統括され, または削除されて日本国憲法となったかを系統的に整理し, 図によって提示した (図1).ベアテ起草条項の文言が日本国憲法になるまでを整理し, 表によって提示した (表 1).以上のように日本国憲法の第一次案の起草にベアテが携わったことで, 第24条, 第26条等が盛り込まれ, 「家族」「両性の本質的平等」「児童」という言葉が使用される等, 民主主義日本の出発にあたって, ベアテの果たした役割の大きい事がわかった.
著者
草野 篤子 中西 央 小野瀬 裕子
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
日本家政学会誌 (ISSN:09135227)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.5-14, 2000

日本国憲法第3章人権条項のうち, 「男女平等」と「教育の機会の平等」を中心としたベアテ草案作成の背景を考察し, ベアテ草案の先進性と限界を見いだした.その結果を以下にまとめる.<BR>(1) ベアテ草案作成の状況<BR>ベアテは, 語学力を駆使し, 諸外国憲法を参考に引用しながら, 女性の権利, 教育の平等, 労働者の権利等, 「女性と子どもが幸せになるため」の条文を作成した.<BR>(2) ベアテの経歴と起草条項の淵源<BR>ベアテが起草した, 民主的な近代家族の生成に寄与した女性の権利保障と教育の自由が明文化された条文の淵源として, (1) 母親からの影響, (2) 10年問の在日経験, (3) 米国ミルズ大学での教育, (4) 被抑圧民族であるユダヤ人として受けた差別, (5) 被抑圧ジェンダーである女性として受けた差別の5点を見いだせた.ベアテはこの時弱冠22歳であったが, さまざまな社会や文化に対してグローバルな視野を持ち, 博識であった.<BR>(3) 憲法研究会草案との対比<BR>日本の民間草案は約12あったが, 国民に目を向けていち早く発表された憲法研究会草案は注目に値する.新たに規定されるべき国民の権利義務として, 「言論学術芸術の自由」「労働の義務」「労働に対する報酬の権利」「休息権」「老年疾病の際の生活保障」「男女平等の権利」「民族人種差別の禁止」をあげている.模範とした諸外国憲法は, 憲法研究会草案を知らないベアテが模範にした憲法と同じであった.ベアテと憲法研究会が参考にした憲法の条文を表1に示した.ベアテ草案と憲法研究会との条文の共通性を表2に示した.憲法研究会草案はGHQ上級職員から高く評価され, その意識の中には取り入れられていたと考えられた.<BR>(4) ベアテ草案の先進性および限界<BR>ベアテ草案 (GHQ第一次案) の先進的な部分と限界の双方の指摘を試みた.<BR>先進的部分として3点あげることができた.第一に, 家庭における男女の平等を規定した第18条, 長子相続の廃止を規定した第20条では, 「家」制度を廃止するだけでなく, 民主的な近代家族の実現を図るために, 家族という私的領域におよんで法的規定を行ったこと.第二に, マッカーサー草案としては最終的に削除されたが, 第19条の母性保護と非嫡出子差別の禁止, 第26条の男女同一価値労働同一賃金は, 後に法制化の課題として残ったこと.第三に, 第21条, 第24条, 第25条で「児童」の権利をとりあげ, この時代に子どもを「保護の客体」ではなく「権利の主体者」としてとらえた起草を行っていることである.<BR>次にベアテの限界として2点指摘できた.第一に, 第25条に高齢年金の保障を掲げているものの, ベアテ自身も指摘しているように, 老人社会福祉に関する条項がないこと.第二に, 住居の選択はあるものの, 居住権等の居住の権利に関する条項がないことをあげることができた.