著者
山本 伸二
出版者
天理大学学術研究委員会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.27-50, 2013-10

1159年の教皇ハドリアヌス4世没後に勃発したシスマは,皇帝(ドイツ国王)フリードリヒ1世・バルバロッサにとって,その後18年間にわたって彼の帝国再建策を規定していく要因の一つであった。そして反バルバロッサのアレクサンデル3世支持が拡大していく状況下の1165年,バルバロッサは,アーヘンでカール大帝の列聖を実施した。本稿は,そのカール大帝の列聖を,まず史料を確認し,ついで12世紀における列聖の状況をふまえ,さらにカール大帝とアーヘンといった「人」と「場」の結びつき,この列聖の「共演者たち」といった点も視野に入れて,その歴史的コンテクストのなかで考察することを目的としている。
著者
山本 伸二
出版者
天理大学学術研究委員会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.67-86, 2014-02

本稿の目的は,ドイツ国王フリードリヒ1世・バルバロッサ(在位1152-90年)以前のシュタウフェン家を対象として,その起源,出自から家門意識,さらに婚姻関係,結婚政策に焦点を当てて,シュヴァーベンのグラーフから大公,さらに国王を誕生させるに至ったシュタウフェン家の台頭の歴史を跡づけることである。シュタウフェン家の基軸は「フリードリヒ」という基本名をもつ男系であり,台頭の契機となったのは,国王の息女との結婚による王家との結びつき,城砦と修道院の建設,そして大公という地位の獲得であった。しかし,1125年,1138年の国王選挙を経て,シュタウフェン家のなかに,国王の家系と大公の家系という2つの系統があらわれることになったのである。
著者
山本 伸二
出版者
天理大学学術研究委員会
雑誌
天理大学学報 (ISSN:03874311)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.67-86, 2014-02

本稿の目的は,ドイツ国王フリードリヒ1世・バルバロッサ(在位1152-90年)以前のシュタウフェン家を対象として,その起源,出自から家門意識,さらに婚姻関係,結婚政策に焦点を当てて,シュヴァーベンのグラーフから大公,さらに国王を誕生させるに至ったシュタウフェン家の台頭の歴史を跡づけることである。シュタウフェン家の基軸は「フリードリヒ」という基本名をもつ男系であり,台頭の契機となったのは,国王の息女との結婚による王家との結びつき,城砦と修道院の建設,そして大公という地位の獲得であった。しかし,1125年,1138年の国王選挙を経て,シュタウフェン家のなかに,国王の家系と大公の家系という2つの系統があらわれることになったのである。